笑わない工学者

阿東

 某県立T大工学部研究棟の一室。浅野川助教授と東之園萎絵は、机を間に置いて向かいあっていた。いや、正確には、浅野川の視線は下を向いていたのだから、萎絵が一方的に浅野川の方を向いていたというべきか。
 そんな細かいことはどうでもいい。ともかく、萎絵は浅野川の部屋にいたのである。
「ねえ、先生」
 いれたてのコーヒーに次々と角砂糖を入れながら、萎絵は口を開いた。
 浅野川は学会誌に落していた視線を萎絵に合わせる。そして、すぐにまた視線を学会誌に戻し、端的に言葉を返した。
「何、」
「お願いがあるんです。一生のお願い」
 萎絵の一生をかけてのお願いは、これで通算63回目である。浅野川には数を数える癖があった。
(東之園君がドアをノックせずにここに入ってきたのが28回、今コーヒーに入れた角砂糖の数は4個、そして、こういうことを数えはじめて177回目だ)
「で?一生のお願いって?」
 浅野川は不機嫌であった。大抵、萎絵の「一生のお願い」はくだらない。そんなものに、よく「一生」などかけられるものだ。
 萎絵は、浅野川の顔色を伺いながら、言った。
「笑って下さい」


(この物語はフィクションであり、実在の以下略)
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