番外編   2年前の日記 1997.1.17


 突然の振動で目がさめた。
 最初は何が起きたのかよくわからなかったが、大量の本が本棚から落ちる音がしている。ビデオデッキや電話の、ほのかな照明が消えて部屋が真っ暗になる。
 部屋はまだ揺れている。建物のきしむ音が聞こえる。起きて逃げよう、と考える前に、揺れはおさまっていた。

 揺れがおさまっても、しばらく布団から出られなかった。数分後、ようやく体が動き、枕元の目覚まし時計を確認する。5時50分。
 布団から抜け出す。暗闇の中、床に本が散乱しているのがかすかに見えた。本棚自体は倒れていないようである。たしか懐中電灯があったはず、と思って押し入れの中を手探りで探す。見つからない。ラジカセもあったはずだが、やはり見つからない。ジャンパーを着て、外に出てみることにした。

 外も暗い。いつもなら点灯しているはずの街灯も消えている。向かいのマンションの非常灯だけが、小さく緑色に光っていた。
 玄関を出て、下を見る。コンクリートにひび割れが走っていた。以前からあったものか、さっきの地震でできたものか、しばし考え込む。結局、結論は出なかった。
 駐車場へ行き、車のエンジンをかける。カーラジオを聞こうとしたのだ。しかし、普段はCDしかかけていないので、操作がよくわからない。ようやくどこかの局につながったようだが、雑音が多くてよく聞き取れなかった。
 カーラジオはあきらめて車を降りる。あたりはようやく、明るくなりはじめていた。家へ戻る途中で、自転車で駆け付けてきた管理人のおじさんと出会う。しばらく話し、家へ戻った。

 7時すぎ。ようやく電気が復活した。さっそくテレビをつける。震源地はわかったが、被害についてはまだはっきりしない。とりあえず、散乱した本を本棚に片づけ、ビデオや電話の時計を合わせる作業をおこなう。
 吹田の実家へ電話。私の住む高槻より震源に近いだけに心配だったが、どうやら両親とも無事。ただ、食器類は、かなり壊れたらしい。
 被害状況がわからないのは不安だったが、とりあえず出社する準備だけはする。
 テレビを見ていると、『ズームイン朝』の終了間際になって、大阪駅前の映像が入ってくる。建築中のビルの屋上のクレーンが倒れている絵。ひょっとして、これはかなりやばいのじゃないか、と思いはじめる。

 家を出て、駅へ向かう。途中の歩道が盛り上がり、ブロックがずれている。ふと見ると、猫が頭から血を流して死んでいた。地震に驚いて、屋根から落ちたのかもしれない。
 駅に着いたが、やはり阪急は止まっていた。JRの駅まで歩くが、こちらも止まっている。あきらめて家に戻る。

 会社に電話をかけようとするが、混雑していてつながらない。そしてテレビでは、ようやくヘリが神戸に到着したらしい。昨日の夕方走ったばかりの阪神高速が倒壊している映像が映し出される。
 背筋が寒くなった。ようやく、事態の深刻さがわかってきた。この様子だと、死者は百人や二百人ではおさまらないかもしれない。

 電話はあいかわらずつながらない。公衆電話ならつながりやすい、という話を聞いたのを思い出して、再び外へ。ようやく、会社に電話することができた。そして、安否をたずねる電話を何本かかける。つながったところはすべて無事。しかし、もっとも被害の大きそうなところにはつながらない。不安に思いながら帰宅。

 その後はずっと、テレビに釘付けになる。いつの間にか昼を過ぎていたが、食事をするのも忘れていた。途中、何度か電話を取り上げるが、やはりかけたいところにはつながらなかった。
 神戸に行こうか、との考えが一瞬頭をよぎったが、邪魔になるだけだ、と思い直した。

 3時すぎになって、阪急京都線が運転を再開したとのテロップが流れる。しかし、いまさら出社してもしかたない。さすがに空腹を覚えたので、冷凍してあった食パンを焼いて食べる。
 それ以後は深夜まで、ずっとテレビを見ていた。悲惨な映像はいくらでも映し出されるが、具体的な被害状況についてはあいまいなまま。夜になっても、電話はつながらない。

 1時を過ぎたので、布団にはいる。テレビはつけたまま。安否が確認できないことを不安に思いながら、いつの間にか眠りに落ちていた。


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