第29回   百匹目の猿はどこにいる 1996.10.15


 今から15年後に流行る言葉シリーズその1。
 「平成をよそおう」(意味:年齢をゴマかすこと)
 その2は今のところ未定。


 先日、本屋に行くと、「百匹目の猿現象」をタイトルに関した本が数種類平積みになっているのが目に付いた。
 ざっと見ただけなので内容はよくわからないが、『超整理法』や『脳内革命』と一緒に並べられているところを見ると、まあ、その類の本なのだろう。
 しかし、よりによって「百匹目の猿現象」をベースにして議論を展開するとは‥‥。
 実は、この「百匹目の猿現象」、嘘なのである。

 「百匹目の猿現象」とは、かいつまんで言うとこういうものである。

 宮崎県の幸島に住む野生の日本猿に、砂にまみれたサツマイモを与えたところ、一匹の若い猿が海で洗って食べることを覚えた(砂が落ちるし、適度に塩味がついておいしくなる)。やがてコロニー内の猿たちも、次第にその行動を真似するようになった。
 だが、百匹目の猿の新たな参入により、何らかの閾値を越え、その日の夕方にはコロニーのほぼ全員が同様のことをするようになっていたばかりか、他の島々のコロニーや本州の高崎山にいたコロニーの間にも自然発生するようになった。
 すなわち、空間を越えて、情報を伝えるような何らかの手段が存在するのだ。

 この話の原典は、ライアル・ワトソンという「生物学者」の書いた『生命潮流』という本である。ベストセラーになったので読んだ方もいるかも知れない。また、この現象も、多くの人たちに引用されて、あたかも既成事実であるかのように扱われている。
 しかし、ワトソンの本は、生物学とは名ばかりで、かなり「トンデモ系」が入っている。だから、サイエンスとしてよりも、ファンタジーとして読むべきだろう。現に、『生命潮流』でも、冒頭にいきなり「テニスボールの内側と外側をひっくり返せる超能力少年」の話が出てきたりする。
 (私も、数日前に「ライアル・ワトソンをよく読む」と書いたが、読んで面白いことは確かである。しかし、内容についてはあまり信を置いていない。そのあたりの気持ちを「(笑)」に込めたのだが)
 で、この「百匹目の猿現象」については、一応もっともらしく、以下の論文が「参考文献」としてあげられている。

   KAWAI, M 'Newly acquired precultual behaviour of the natural troop of Japanese monkeys on Koshima Island,' Primates 6: 1-30, 1965.

 しかし、この河合雅雄博士の論文には、上記のようなエピソードはまったく書かれていない。つまり、ワトソンの創作である。
 ワトソンは、たまにこういう「偽の資料を紛れ込ませる」という手を使うので注意が必要である。まあ、巻末にあげられた膨大な量の「参考文献」を、いちいち調べるようなヒマ人はいない、と考えてのことだろうが、ヒマ人はいくらでもいるのである。

 ワトソンを信じて、本まで書いてしまった人には同情する。しかし、これは「二次資料を鵜呑みにせずに、ちゃんと一次資料を調べろ」という教訓だな。
 ‥‥うっ、それを言い出すと、自分の「ぽたぽた」が一番ヤバいかも知れない。何しろ、二次はもとより、三次、四次資料に基づいて書いているネタもあるから。

 待てよ。よく考えたら、「河合博士の論文にはこんなエピソードは書かれていない」というのも、二次資料からの引用ではないか。うーむ、これでは、説得力がないな。仕方ない、今からちょっと、一次資料を探しに行ってきます(嘘)。


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