第78回   高校の思い出 1996.12.11


 今日は、私の通っていた高校の話をしよう。
 私が通っていたのは、大阪の北部にある千里高校というところだ。千里丘陵にあり、まわりには竹やぶなどの自然が結構残っていた。
 などと書くとずいぶん田舎だな、と思われるかも知れないが、そんなことはない。千里ニュータウンの一角にあり、周囲は住宅街である。そして、道路などは広くて整備されているのだ。道路が広いわりに車の通行量が少ないので、スピードを出す車が多いのは困りものだが。
 この前も、ゴクミの旦那が猛スピードで走っていた。アレジ千里を走る、というやつだ。

 ところで、よく「私は○○○○(有名人)と同じ高校の出身だ」と自慢する人がいる。そんなことは自慢にも何にもならないのであるが、私もちょっと言ってみたい気がする。
 しかし、千里高校を卒業した有名人というのは、ほとんどいないのだ。しいてあげるなら、オ●ム真理教の幹部、故・村井秀夫氏くらいだが、これは自慢にはならない。おまけに私の場合、大学まで一緒だったので、ますますシャレにならないのだ。
 村井氏は私より3学年上だったので、同時に高校に通っていたことはないのだが、同窓会の席で一度だけ顔を合わせたことがある。案の定、「オ●ム真理教に入らないか」という話題になった。
 私は、興味がないので軽く聞き流していたのだが、一歩間違えれば今頃はサリン製造犯として逃亡する身だったかもしれない。まあ、私は要領が悪いのですぐに逮捕されてしまっただろうが、どうせ逮捕されるならライ麦畑でつかまえてほしいものだ。サリンじゃー、だからである。

 このネタはさすがにヤバそうなので、話題を変えよう。

 同級生に、尾垣という男がいた。尾垣礼太である。
 この男、普段は勉強などしないくせに、テストの成績だけは良かった。なぜかというと、カンニングをしていたからである。
 尾垣のカンニングというのは、非常に巧妙なもので、一度もばれたことはない。教師たちも、尾垣がカンニングしている、ということはうすうす気づいていたようなのだが、証拠がつかめないのだ。現場を押さえたつもりで身体検査までしても、何も出てこない。だから、結局は無罪放免するしかなかったのである。まさに、カンニングの達人だ。
 テストが近づくと、尾垣は嬉々として新たなカンニングの方法を考えはじめた。一度使った手口は二度と使わない、というのがポリシーらしい。カンニング方法を考えるのに、徹夜まですることもしばしばだ。その熱意を勉強の方に向ければもっといい成績が取れるのじゃないか、と忠告したこともあるが、本人はこれが好きでやっているらしく、あらためる気はないようだ。

 そしてまた、テストの日がやってきた。当然ながら、尾垣はカンニングをしているはずだ。その手口は、私も教えてもらっていないので、どんなものかはわからないが。
 監督の教師は、普段は温厚な人物なのだが、この日はかなりいらついていた。原因はもちろん尾垣である。カンニングしていることは確実なのに、証拠はない。しかも尾垣は、挑発でもするかのようににやにやと笑っている。いらつくのも無理はないだろう。
 そしてついに、その教師の怒りが爆発した。尾垣に向かって、こう怒鳴ったのだ。
「いいかげんにしろ! カンニングプロの尾垣礼太!」


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