第100回   ダジャレ探偵最後の事件 1997.1.10


 日本海は、あいかわらず荒れていた。
 黒い波涛が岸壁を叩き、飛沫をあげる。鉛色の空は重くのしかかり、もう何日も太陽の姿を隠していた。
 そして、その岸壁に横たわるやせた男の死体。いままでの被害者と同じように、全裸である。腹には大きく「証」の文字と「13」という数字がマジックで書かれている。これで十三人目だ。怒りよりも悲しみよりも、強い疲労感が私をさいなんでいた。
「‥‥これは確か、荒川という男でしたね。死因は何でしょう?」
 京都府警の四条警部が聞く。私は答えた。
「‥‥溺死でしょう。なぜなら、前の被害者も溺死でした。溺死はくりかえす、と言いますからね」
「さすがは久遠寺さん、素晴らしい推理です」
 四条警部は誉めてくれたが、ダジャレ推理の切れ味は落ちている。それも仕方がない。史上まれに見る凶悪連続殺人事件の現場にいながら、いまだに犯人を指摘できないのだから。
 私は、肌身離さず持っているツタンカーメン王のお守りを握りしめた。先日、事件を解決した際に、ある女性からもらった物だ。霊験あらたか、という話だが、残念ながら今回の事件では効果はないようである。
 隠岐と能登を結ぶ直線上に浮かぶ孤島、鬼首島。嵐のために外界と隔絶されたこの島で最初の殺人が発生してから、三日目が暮れようとしていた。

 私の名は久遠寺翔吾、JDC(日本探偵倶楽部)に所属する私立探偵である。
 JDCは、日本の私立探偵を統括する組織で、本部は京都にある。三百五十人ほどの探偵が所属しており、私もそのうちの一人だ。京都府警の四条警部とは一昨年からのつきあいで、『毘沙門天殺人事件』『桃太郎伝説殺人事件』『白銀天使事件』など、共に解決した事件も多い。
 JDCに所属する探偵たちは、皆それぞれ、独創的で奇想天外な推理方法を駆使して事件の解決に当たる。たとえば、集中考疑、潜探推理、ジン推理、神通理気、迷推理、ファジィ推理、不眠閃考、俯瞰流考‥‥。いちいち説明はしていられないが、どれも素晴らしい推理方法だ。詳しく知りたければ、『コズミック』『ジョーカー』(清涼院流水・講談社ノベルス)をお読みいただきたい。
 そして、私の推理方法は、もうおわかりだろうが、『ダジャレ推理』である。
 ダジャレ‥‥私の場合それは、潜在意識の発露である。事件に関する情報を収集し、潜在意識に自由連想推理をさせる。そして、その推理の結果がダジャレとして顕在化するのだ。この推理方法が使えるのは、日本では私一人である。天賦の才能、というべきか。この才能は、頭ではなくお尻に宿っているのかもしれない。それは臀部の才能である。

 この島には民家はない。いつ建てられたのかも定かではない古ぼけたホテル「山波留館」があるだけだ。私と四条警部は、久しぶりの休暇をのんびりと過ごすためここに来た。
 しかし、のんびりとはしていられなかった。私たちが到着するやいなや、殺人事件が発生したのだ。「名探偵が殺人を招く」とゲーテも言っているが、まさにそのとおりである。
 この島には、私たちを含めて二十二人の男女が滞在していた。そのうちの十三人がすでに殺されている。この嵐の中、外部との行き来は不可能である。犯人は必ず、残された者の中にいるはずだ。

 私は四条警部と別れて、ホテルの屋上へあがった。一人になって、考えをまとめたかったからだ。
 屋上の手すりから下を見る。ホテルは断崖の上に建っており、真下は荒れ狂う海である。私は苦労して煙草に火をつけると、最初の殺人事件から思い出していった。

 第一の事件。
 被害者は部屋の中で絞殺されていた。全裸で、腹には「証1」と書かれていた。そして、死体の周囲の床は大量の血で濡れていたのだ。
 四条警部が聞く。
「なぜ、絞殺なのにこんなに血が‥‥。被害者の血でしょうか?」
「いや、これは猫の血です。理由はわかりませんが、犯人がまいたものでしょう」
「しかし、あの小さな猫の体に、こんなに大量の血があるものですか?」
「ええ、猫の皮をはげば、大量の血が出ます。けっこう血だらけ、猫はいだら、というくらいですから」

 第二の事件。
 被害者は女性だった。やはり全裸で、腹には「証2」と書かれていた。死体の股間には、緑色の粉のようなものがばらまかれている。
「この粉は‥‥いったい、何でしょう?」
「股間にまかれているから抹茶ですね。性感抹茶味」

 第三の事件。
 被害者は、重い碁盤で殴り殺され、腹には「証3」と書かれていた。
「この碁盤は‥‥ブランドもののようですね。イヴサンローランか何かでしょうか?」
「いや、シャネルの碁盤です」

 ‥‥これではダメだ。個々の事件をいくら検討しても、解決につながる手がかりは見えてこない。私は、発想を変えることにした。
 このホテルは、不思議なところだった。あちこちに怪獣映画のポスターが貼られ、怪獣のぬいぐるみやプラモデルであふれかえっている。いったい誰が、何のために‥‥。
 そして、このホテルに集まった人々の素性にもはっきりしないところが多い。現時点で、一番怪しいのは誰だろう。やはりあの、元プロ野球選手だという、小須田という男だろうか。私は再び、ツタンカーメンのお守りを握りしめた。
 そのとき。私の頭に、天啓のように一つの推理がひらめいた。
 ゴジラ対モスラ。5時、裸体、小須田。

 ‥‥いや、違う。この推理は、正解ではない。被害者のうち、5時前後に殺されたと思われる者は3人しかいないのだ。やはり、このお守りには霊験などないのか。いや、お守りのせいではない。すべては、私の未熟さのゆえだ。
 私は、つぶやいた。
「やはり、小須田が一番あやしいんだがなあ‥‥」

「そのとおりだ。よく俺が犯人だとわかったな」
 背後から声がした。私は、あわてて振り返る。そこには、ナイフを持った小須田が立っていた。
 何ということだ。推理する前に、犯人がみずから名乗り出るとは。これでは、ダジャレ探偵の面目まるつぶれである。しかし私は、見栄をはることにした。
「当然だろう。私はダジャレ探偵だ。私の推理に不可能はない」
「‥‥なるほど。そんな名探偵が、たまたまこの島にいたとは計算外だった」
「しかし、動機については、まだはっきりしない点がある。よかったら話してくれないか」
 相手は大柄なスポーツマンである。格闘になればかなわないだろう。私は時間を稼ぐことにした。四条警部が気付いてくれればいいのだが。
「動機? 動機は復讐さ。この島に来たやつらは、お前たち二人を除いてみんな俺が呼んだんだ。‥‥俺の選手生命を奪った、許せないやつらだ」
「どういうことだ?」
「俺は、プロ野球の選手だった。もっとも、二流だったがな。どんなに努力しても、とても一流選手にはかなわなかった」
「なるほど、越すに越されぬ王、江川、ということか」
「‥‥そんな俺でも、やっと一軍の試合に出られるときが来た。しかし、第一打席の第一球目で、俺は頭にデッドボールを受けたんだ」
「なるほど、初球お見舞い申し上げます、ということか」
「‥‥結局、その一球のせいで、俺は二軍へ舞い戻る羽目になった」
「なるほど、飛んでイースタンリーグ、ということか」
「うるさい! なんださっきから、くだらないことばかり言いやがって!」
 しまった。どうやら怒らせてしまったようだ。ダジャレの通じない人間だったらしい。
 小須田は私に襲いかかってきた。力が強い。ナイフを持った手を押さえるだけで精いっぱいだ。
「‥‥ちょっと待て! まだ、話は終わってないぞ!」
「黙れ! お前は今ここで死ぬんだ!」
 私と小須田はもみあって、次第に屋上の端の方へ寄っていった。危ない。そう思った瞬間、二人とも手すりを越えて落下していた。下は、嵐の海だ。

 落下していきながら、私は叫んだ。
「最後に一つだけ教えてくれ! 死体に書かれた、『証』の文字には何の意味があったんだ!」
「しょう? そんな文字は書いていないぞ! 俺が書いたのは、『てんちゅう』の『ちゅう』だ!」
「馬鹿! 『天誅』の『誅』は、ごんべんに朱だ!」
 誤字、裸体、小須田‥‥。これに気付かなかったとは、私もヤキがまわったものだ。
 次の瞬間、私と小須田は荒れ狂う海に突入していた。

 服はすぐに水を吸い、鉛のように重くなった。波が高く、満足に泳げない。水が容赦なく肺へと侵入してくる。苦しかった。小須田の姿は、すでに見えない。
 まさか、こんなところで連続殺人犯と刺し違えることになるとは思わなかった。これが、数々の難事件を解決してきたダジャレ探偵の最期か‥‥ダジャレの通じない犯人にやられるとは、皮肉なものだ。
 手足に力が入らない。これが限界のようだ。もはや海面も見えず、意識もだんだんと薄れてくる。
 最後の力を振り絞って、私はツタンカーメンのお守りを握りしめた。
 溺れる者は、ファラオもつかむ‥‥。


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