第116回   小野小町 1997.2.21


 小野小町は平安時代の女性で、六歌仙のひとり、そして絶世の美女だったと言われている。そのせいか、現在でもきれいな女性のことを「○○小町」と呼ぶことがあるようだ。たとえば、そとばこまちやあきたこまちである。なでぃあこまちというのもいたと思ったが、記憶違いかもしれない。
 あきたこまちはブランド米の名前としても有名であり、最近ではコシヒカリにせまる人気だ。あきたこまちがおいしい理由は、いろいろとあるだろうが、やはり気候ではないだろうか。特に風は、他の県にはない独特のものらしい。秋田は秋田の風が吹く。
 コシヒカリのトップの座もあやういかもしれない。はたして、新潟に巻き返すチャンスはあるだろうか? ニー・ガッタ・チャンス。

 冒頭から話題がそれまくっているので元に戻す。
 小野小町は絶世の美女だけに、言い寄る男も大勢いた。有名なのは深草少将の話であり、能の「通い小町」の題材にもなっている。
 深草少将から愛を告白された小野小町は困惑した。小町ゃうな〜、少将に誘われて〜、ということである。困った小町は、「百夜かよえば、あなたの意に従う」と答えた。それを聞いて有頂天になった深草少将は、雨の日も風の日もかよいつめたが、残念ながら九十九夜目にして疲労のあまり倒れ悶死した。深草は不覚さ。

 また、小野小町には「穴なし伝説」というものもある。この場合の穴とは膣のことで、あれだけ多くの男に言い寄られながらついに誰にもなびかなかったので、こんな伝説が生まれたのだ。ちなみに、裁縫に使う穴のない針を「待ち針」と呼ぶのは、「小町針」が語源だとの説もある。
 ところで、京都東山の知恩院には「左甚五郎の忘れ傘」と呼ばれるものがある。本堂正面右端ひさしの下に、古ぼけた唐傘が置かれているのだ。これは、本堂の建築にたずさわった名工・左甚五郎が、これほどの大建築が完璧であるのはかえって魔がさすからと、ケチをつける意味でわざと置き忘れていったものだと言われている。
 そこで、江戸時代、こんな都々逸がよまれた。

 小野小町と 知恩院の傘は
 ささず濡らさず 骨になる

 私も実物を見に行ったことがあるが、まだ骨にはなっていなかった。しかし、腐りかけているようで、それを見た私は諸行無常を感じて悲しくなってしまったのだ。哀愁の傘腐乱か?


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