第203回   姉の死にまつわる話  1998.8.26





 というわけで、真夏の夜の怖い話シリーズ第3弾である。


 人の記憶はモザイクのようなものだ。
 一切が忘却の彼方である乳児期から物心が付き出す幼児期を経てはっきりと頭に残る少年期へ、その間を移ろう記憶は、霧が晴れていくように次第に明瞭になっていくものではない。びっくりするほど鮮明に覚えている出来事もあればすっかり忘れ去っている出来事もある。重要なことだから記憶に残っているというものでもなく、ありふれた日常の風景がいつまでも忘れられないこともある。人の記憶はモザイクのように、覚えている部分と忘れている部分が複雑に絡み合っているのだ。その穴、すなわち忘れている部分が次第に減少して、記憶のジグソーパズルが完成に近づいていくことを、成長と呼ぶのだろう。
 私の幼児期の記憶にももちろん欠落は多い。しかし、今は亡き姉に関する記憶だけは驚くほどはっきりしている。それほど、当時の私にとっては姉の存在は大きかったのだろう。今日はその姉の思い出、少し不思議な話を語ってみたい。
 姉の名は、渚といった。

 紙風船で遊ぶ姉の姿、それがおそらく私のもっとも古い記憶だろう。
 当時、私の家は大阪の四天王寺の近くにあった。木造の二階建て、古ぼけた長屋である。大阪市内とはいえ、まだ下町の風情が色濃く残るその家は、私の幼少時にはまだかろうじて富山の薬売りの巡回路に入っていた。紙風船は、薬売りが置き薬のおまけとして置いていったものだ。色とりどりの薄い和紙で作られた安っぽい紙風船だが、姉と私にとっては恰好のおもちゃだった。
 床がやや傾いた南向きの座敷で、色あせた畳にぺたんと座り込んで紙風船を空へ突き上げる姉。私はといえば、もっぱらその紙風船を奪って押しつぶすことを目的としていた。姉の手さばきは巧く、なかなか奪い取ることはできなかったが、十回に一回くらいは成功した。奪った紙風船を持って部屋の隅まで駆けていき、足で踏み潰す。もちろん姉に怒られるのだが、声は怒っていても姉の目は微笑んでいた。そして姉は私から紙風船を取り戻すと息を吹き入れて膨らませ、再び二人の遊びが始まるのだ。
 幼くして死んだ姉の写真はほとんど残っていないが、姉の顔は私の記憶に鮮明に残っている。丸顔におかっぱ頭、くるくるとよく動く悪戯っぽい大きな瞳。その表情は、若い頃の小泉今日子を彷彿とさせるものがあった。思えば、私が小泉今日子に惹かれるのもそこに姉の姿を見ているのかもしれない。しかし私の記憶の中の姉は七歳で成長を止めている。
 そして姉は、その元気な表情とは裏腹に病弱だった。

 記憶に残る姉の姿でもっとも多いのは、二階の奥、仏壇のある部屋で布団に入っている姿だ。
 寝たり起きたりの状態で、一年のうち三分の一くらいはその部屋で臥せていただろうか。こうなると姉と遊べないので私は退屈していた。母にきつく言われてはいたが、よくこっそりと姉に会いに行ったものだ。姉も私を歓迎してくれた。小さな咳をしながらも、よく絵本を読んで聞かせてくれていた。
 姉の病気が何だったのかは、いまだによくわからない。

 そして、姉の病臥が思いの外長引いていたある日の記憶である。
 馴染みの薬売りが、例年とは違う時期にやってきた。痩せて背の高い中年の男だ。祖父がその薬売りを出迎え、すぐに奥へ招き入れる。どうやら祖父が呼んだようである。障子を通して二人の会話を聞いていたが、理解できない言葉が多い。かろうじて、人魚、肉、治る、渚の病気、といった断片が聞き取れたのみである。その薬売りは一尺ほどの長さの桐の箱を残すと逃げるように去っていった。
 しばらくして祖父も所用で外出した。二人が会話していた部屋に入ると、桐の箱は床の間に置かれている。私はその箱の中身を見たかった。二人の会話から、人魚が入っている、と思ったからである。もちろん、私の想像したのは西洋の伝説に出てくる上半身が美女で下半身が魚の人魚だ。姉に読んでもらった絵本で得た知識である。
 わずかな罪悪感を感じつつ、私は箱の蓋を取る。薄い和紙に包まれたものが、そこに安置されていた。おそるおそるその紙を開くと、グロテスクなものが私の目に飛び込んできた。
 もちろんそれも人魚なのだろう。しかし、私の想像とはまったく違っていた。大きく落ちくぼんだ目、耳まで裂けて乱雑に牙が生えた口、三本の指からは歪んだ爪が生え、手は胸の前で揃えられている。下半身は魚そのもので、ひからびた鱗が不規則に並んでいる。上半身は人間というよりも猿のように見える。それは、グロテスクな人魚の木乃伊だった。
 私は悲鳴を上げることさえできなかった。震える手で箱を元に戻すとその部屋から逃げ出す。あれが人魚だというのだろうか。あの人魚と姉の病気と、どんな関係があるのだろう。
 今ではその答はわかっている。八百比丘尼を例に出すまでもなく、人魚の肉を食べると不老不死の体になれるという伝説が日本各地に残っているのだ。おそらく祖父は姉の病気を治すために人魚を入手したのだろう。だが、木乃伊にも同様の効果があるのかはわからない。それにたぶん、いや確実に、あの人魚の木乃伊は紛い物である。猿の上半身と鮭の下半身を繋ぎ合わせて作られたものだろう。江戸時代には好事家の需要に応えるため、人魚や鬼や河童の木乃伊が大量に製作されたと聞く。
 もちろん、当時の私にはそんなことは知る由もない。

 しかし結局姉は、それ以来回復することもなく逝ってしまった。顔に白布を被せられ布団に横たわっている姉の姿が、私の記憶に残る最後の姿だ。その姉を囲み、父母や祖父母、初めて顔を見るような親戚の者たちが嗚咽を漏らしているのを私はぼんやりと聞いていた。まだ、死というものがよく理解できていなかったのだろう。悲しいとは感じていたが、それは姉の死に対してではなく、周囲の者がみんな悲しんでいたからかもしれない。
 そしてその夜。布団に入ってもなかなか寝付かれないでいると、隣の部屋から父と祖父の言い争う声が聞こえてきた。例の人魚に関する話のようだ。そういえば結局祖父は、あの人魚の木乃伊を姉に食べさせたのだろうか。
 しばらく聞いていると私にも事情が飲み込めてきた。祖父は人魚の処方を間違えていたようだ。木乃伊をすり鉢ですり潰したまではよかったのだが、その粉を飲ませるのではなく鼻から吸わせていたらしい。そんなものを吸えば苦しいだろうに、祖父の言いつけだからと姉は黙って従っていたようだ。その粉が、姉の命を縮める遠因になったのかもしれない。
 そう、姉の死因については主治医も疑問に思ったらしく、解剖を申し入れてきたのだ。祖父は、可愛い孫の体にメスを入れるなどとんでもないと反対したようだが、死因をはっきりさせたいと主張する父に押し切られてしぶしぶ承諾した。
 そして姉の解剖結果である。やはり、姉の肺の中からは粉末状のものが大量に出てきた。木乃伊の粉だろう。

 すなわち、渚の肺から人魚、ということだ。




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