第305回   戦争を演じた紙々たち  2000.3.26





 ダイエーの駐車場で、妙なステッカーを貼った車を見かけた。
「注意!」と書いてあるのだが、なんだか恐ろしい。酸性かアルカリ性か、どっちにしろそんな危険なものを乗せた車をその辺に置いておかないでほしいものだ。困ったものである。……と思ってよく見ると、「ペーパードライバーが乗っています。注意!」と書いてあるのだった。なんだ、ペーハーじゃなかったのか。
 そりゃそうだ。よく考えてみれば、ペーハードライバーなどというわけの分からないものを乗せているはずはない。とはいえ、ペーパードライバーの方にも謎がある。紙製のネジ回しで、ちゃんとネジを回せるのだろうか? いくら厚紙で作っても強度が足りないような気がするのだが。まあ、金属探知器に引っかからないというメリットはあるか。使ったあとは燃やしてしまえば証拠隠滅も完璧だ。そういう、何やらよからぬ事を企んでいる者にとっては便利な道具なのだろう。
 しかし、そんなことをわざわざステッカーを貼って宣伝しているという神経はよくわからないが。

 まあ、最近は科学技術も進歩してきたことだし、ネジ回しに使えるような強度の紙も開発されているのかもしれない。と思ってちょっと調べてみたら、紙製のものというのは意外と沢山あるようだ。
 たとえばペーパーナイフ。これも強度が足りないような気はするのだが、紙の端で指を切るというのは昔からよくある話、紙製のナイフでもそれなりに役に立つのだろう。もちろん、金属探知器に引っかからないというメリットはある。使ったあとは燃やしてしまえば証拠隠滅も完璧だ。そういう、何やらよからぬ事を企んでいる者にとっては便利な道具なのだろう。ちなみにこのペーパーナイフ、西洋から渡ってきたものとばかり思っていたが、どうやら昔から日本にあったようだ。そう、「肥後の紙」と呼ばれているヤツである。
 他にも、紙製の武器兵器は多い。紙鉄砲などというものもある。これも強度が足りないような気はするのだが、弾丸も紙製ならなんとかなるのかもしれない。もちろん、金属探知器に引っかからないというメリットはある。使ったあとは燃やしてしまえば証拠隠滅も完璧だ。そういう、何やらよからぬ事を企んでいる者にとっては便利な道具なのだろう。ちなみに姉妹品として、豆製の豆鉄砲、水製の水鉄砲、はじめから存在しない無鉄砲などもあるようだ。水鉄砲というのはむしろ氷鉄砲と呼んだ方が正確かもしれないが、いずれにせよ使ったあとで食べたり溶かしたりしてしまえば証拠隠滅は完璧である。無鉄砲など、証拠隠滅の必要さえない。
 紙ヤスリ、というものもあるようだ。刑務所に入っている仲間の脱獄の手助けとして、差し入れ品などに紛らしてこっそりと渡すのだろう。これも強度が足りないような気はするのだが、鉄格子を切断する間だけもってくれればいいのでなんとかなるのかもしれない。もちろん、金属探知器に引っかからないというメリットはある。使ったあとは燃やしてしまえば証拠隠滅も完璧だ。そういう、何やらよからぬ事を企んでいる者にとっては便利な道具なのだろう。あるいは、普通のヤスリが買えないような貧しい人が買うのかもしれない。貧乏ヤスリというヤツだ。

 このように、我々の周囲には紙製のものが意外と多い。考えてみれば、日本人は昔から紙を使うのが得意だった。うちわや扇子、提灯、行灯、傘などの生活用品は言うに及ばず、住居の中にも障子やふすまなどの紙が使われている。紙で作られた棚は紙棚だし、紙で作られた便器は紙隠しである。紙細工も、ここまでいくと紙ワザだ。
 しかし、第二次大戦中にこれらが高じて武器兵器の類まで紙で作り始めたのはちょっとまずかったようだ。当時はまだ、それほど強度のある紙を作る技術がなかったのだから。紙風船で作った風船爆弾あたりはまだしも、紙製の戦車や戦闘機など役には立たないだろう。弾をくらったら簡単に燃え上がってしまうから、アメリカ兵からは「マッチ箱」などと呼ばれて馬鹿にされていたようだ。
 そんな兵器ばかり作っていながら、「そのうち紙風が吹く」などと言っていたのだからお笑いぐさである。敵はちゃんと鉄製の武器を持っているアメリカなのだ。じゃんけんでも、紙は鉄製のハサミに負けてしまうというのに。
 当然ながら、戦況はどんどん不利になっていく。それでも当時の軍幹部たちは、「まだまだ戦力差は紙一重だ。我々が生産し続けた紙の量を見ろ。日本はあと十年は戦える」などと言っていたのである。本当は自分たちもそんなことは信じていなかったというのに。まったく、とんだ猿芝居である。
 いや、紙芝居か。




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