第329回   君死にたまふことなかれ  2001.2.25





 危ない!
 ふう、危なかった。ちょっとあなた、何をしてるんですか。ホームの端でボーッとして。電車が来てるじゃないですか。落ちたらどうするんですか。危ないでしょう。
 え? 余計なことするな? 余計なことって、あっ、ひょっとしてあなた、自殺するつもりだったんですか? 駄目ですよそんなことしちゃあ。え、放っといてくれ? あんたには関係ないだろう? はあ、まあ、確かにあなたは見ず知らずの人です。何の関係もありません。でもね、電車に飛び込もうとしている人を放っておけませんよ。
 事情? ええ、もちろん、あなたにどんな事情があるのかは知りません。でもね、自殺はいけませんよ自殺は。え、聞いてくれって? そりゃまあ、聞けと言われりゃ聞きますけどね。
 ははあ、そんなに借金が。三千万円も。そりゃ大変ですね。え、助けてくれって? もう助けましたけど。え、借金を? な、なにを言ってるんですか。そんな金、私が持っているわけないじゃないですか。だいたい、なんで見ず知らずの人の借金を肩代わりしなけりゃならないんですか。
 危ない! ああもう、また飛び込もうとする。だから自殺はやめなさいって言ってるのに。死んだっていいことなんか何もないでしょう。え? 生きていてもいいことなんか何もない? そんなこともないでしょう。 ほら、生きていれば、あ〜んなこととかこ〜んなこととかもできるし。え? やりたくない? やり尽くした? ううむ、それはうらやましい。あ、いやいや。
 いや、まあそれはともかく。自殺はいけません自殺は。あなたが死んだら悲しむ人がいるでしょう。家族とか友人とかペットとか。え、家族も友人もペットもいない? それはお気の毒に。あ、いやいや。ほら! だから、飛び込んじゃいけませんってば!
 困った人だなあホントに。え? そりゃまあ、あなたの人生ですからねえ。好きにしたらいいとは思いますけど。でも自殺はいけませんよ。ほら、迷惑がかかるじゃないですか。
 そうですよ迷惑ですよ。あなたがここで電車に飛び込んでごらんなさい。数時間、電車がストップしてしまうんですよ。そのせいで仕事に遅刻する人がいるかもしれないし。車内にはトイレの我慢が限界に来ている人がいるかもしれない。お見合いに遅れそうな人がいるかもしれないし、結婚式に遅れそうな人がいるかもしれないし、アリバイ工作中の犯人がいるかもしれない。鉄道会社の職員だって、あなたの死体を片づけなきゃならないし、車体に傷がついたら修理代だってかかる。それだけ多くの人に迷惑がかかるんですよ。そうです。電車に飛び込むのはおやめなさい。
 え、じゃあ他の死に方で? はあ、どんな死に方ですか? 飛び降り? いけませんいけません。それも他人に迷惑がかかります。飛び降りたところに通行人がいたらどうするんですか。他の人を巻き添えにしたくはないでしょう。それにやっぱり、警察の人か消防の人かがあなたの死体を片づけなきゃならないし。ええ、いくら死体は見慣れていると言っても、やはりイヤなものはイヤでしょう。ええそうですよ。まあ、それほど死にたいというのならもう止めはしませんけど、でも、人に迷惑をかけてはいけません。
 ガス? ああ、それもダメです。爆発でもしたら、周囲の住人は大迷惑です。だいたい、今の都市ガスでは死ねないんですよ。そういう成分は入っていませんから。首吊り? それもダメです。死体を片づける人に迷惑がかかります。入水? それもダメですって。捜索隊を出すのに、いくらかかると思うんですか。ダイナマイトを腹に巻いて首相官邸に特攻? ああもう、何を言ってるんですか。
 ええ、そうですよ。それほど死にたいというのならもう止めはしませんけど。でも、人に迷惑をかけてはいけません。だから、死ぬのなら誰にも迷惑がかからない方法で。じゃあどうすればいいのかって言われてもねえ。人に迷惑のかからない死に方ってのは、そうそうありませんからねえ。とりあえずは、そういう死に方を思いつくまでは生きていては?  教えてくれって、何を言ってるんですか。なんで私があなたの死に方を考えないといけないんですか。自分の死に方くらい、自分で決めなさいって。
 そんなこと言われてもねえ。困ったなあ。ええと、じゃあ、こんなのはどうですか。カンボジアとかアンゴラとかモザンビークとかに行くのです。ええそう、未処理の地雷が大量に埋まっている地域です。そこに行って、どんどん歩き回ってください。そうすれば、そのうちに地雷を踏みます。体がこっぱみじんになってくれれば片づける必要もないし、地雷が一個減るのだから現地の人からは感謝されるでしょう。どうですか?
 あ、どうしたんですかそんな顔して。え、何だか馬鹿馬鹿しくなってきた? そうですかそうですか。もう死ぬ気なくなった? そうですかそうですか。じゃあ、これからはがんばって、元気に生きていってください。
 それでは、私はこの辺で。さようなら。




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