第60回   天皇陵のひ・み・つ 1996.11.17


 日本の古代史には謎が多い。それらの謎を解明する決定打になるものは何かといえば、俗に「天皇陵」と呼ばれているものの調査研究であろう。
 天皇陵については、誤解している人もいるかもしれないので説明しておこう。伊沢元彦氏は、『逆説の日本史1・古代黎明編』で次のように書いている。

 まず第一に、「これは確かに○○天皇陵だ」と確実に明言できる古墳はきわめて少ないこと。
 第二に、天皇陵の比定(これが○○天皇の陵だと決めること)は、明治時代に国が当時の学問水準で強圧的におこなったもので、今日の水準で見ればかなりの疑問点があること。
 第三に、それにもかかわらず国(宮内庁)は天皇陵に対する発掘調査どころか、考古学者の立ち入りすら一切拒否していること。
 たとえば、最大の古墳である仁徳天皇陵も、本当に仁徳天皇の墓かどうかはわからないのだ。宮内庁が隠しているからである。すなわち、隠匿天皇陵である。

 さらにおかしなことがある。同じく伊沢元彦氏によると、

 宮内庁は天皇全員について「天皇陵」を既に比定している。だから宮内庁の立場からすれば、比定した古墳以外には「天皇陵」は存在しないはずだ。
 そう、存在しないはず……なのだが、その他に「陵墓参考地」などというものがある。これは「天皇の墓ではないかと見られる」古墳のことで、全国に二百カ所ほどある。つまり、二百参考地というわけだ。
 でも、これはどう考えてもおかしい。すべての天皇について天皇陵が決まっているのなら、その他に「天皇の墓かもしれない」古墳があるわけがないではないか。つまり、本当は、宮内庁自身も自信がないのである。
 なのになぜ、宮内庁は考古学者の立ち入りを認めようとしないのか。これを考えてみよう。

 まず考えられるのは、「皇室の尊厳を守る」ということであろう。
 天皇陵は、皇室の先祖たちの墓である。その墓を発掘して荒らしたりすると、先祖の霊に申し訳ない、ということだ。これは、宮内庁の顧問たちの間では常識になっているのだろうか。つまり、顧問先祖である。
 でも、こんなことを常識にされては困る。
 もし、宮内庁の比定が間違っていたらどうするのだろう。たとえば、本当は桓武天皇陵なのに、それを文武天皇陵としてまつっていたら、桓武天皇は怒るだろう。おカンムりというやつだ。持統天皇など、泣き出してしまうかもしれない。そうなったら勝ち目はない。なにしろ、泣く子と持統には勝てないのだ。
 だから、宮内庁が本当に「皇室の尊厳」を大切にするのなら、徹底的に調査をおこない、どれが誰の墳墓かをはっきりさせた上でまつらなければならないのだ。

 では、宮内庁は、「役所の先例」にこだわっているのだろうか。
 これもありそうな話だが、天皇家は代々神道を信奉しているはずで、クリスチャンではない。洗礼にこだわる必要はないだろう。

 それでは、本当の理由は何か。これは噂に過ぎないのだが、

 (前略)あえて噂のまま記してみよう。
 それは、「天皇陵を発掘すると天皇家と朝鮮半島の関係が明らかになるから、反対しているのだ」という見方である。
 もっと具体的に言えば、「天皇家の祖先が朝鮮半島から渡来したことの証拠が出てくる恐れがあるからだ」、ということだ。
 たしかに、朝鮮半島からトライを決めた可能性はある。しかし、万一そうだったとしても隠す必要があるのだろうか。
 いや、もし宮内庁が、あくまで「天皇家は神の家系である」ことにこだわるのなら、隠す必要があるのかもしれない。しかし、天皇家の生活費は我々の税金でまかなわれているわけで、決して「神の家計」ではないのだ。
 憲法を遵守すべき公務員の中に、そのような「過去の亡霊」にしばられている者がいないことを私は祈る。しかし、万が一そのような者がいたら、古くて遅いモデムを最新式に買い換えればよいだろう。そうすれば、「過去のボーレート」にしばられずにすむのだから。




   参考文献:伊沢元彦『逆説の日本史1・古代黎明編』(小学館)


第59回へ / 第60回 / 第61回へ

 目次へ戻る