第126回   医者はどこだ 1997.3.27


 私は、伊丹発熊本行きの飛行機に乗っていた。
 熊本への出張である。日帰りだが、熊本へは空路を使えるので東京へ行くよりは楽だ。
 離陸後しばらくして水平飛行に移ったころ、機内にアナウンスが流れた。
「お客様の中に、お医者さまはいらっしゃいませんか。いらっしゃれば、お近くのパーサーまでお声をおかけください」
 どうやら急病人が出たようである。まあ大丈夫だろう。統計的に言って、たいてい一人くらいは医者が乗り込んでいるはずだ。『エアポート75』などの映画でもそうだったし。
 だが、この便は統計に反していたようである。しばらくすると、またアナウンスが流れた。
「お客様の中に、看護婦さまはいらっしゃいませんか‥‥」
 近くでスチュワーデスが心配そうに会話している。それを聞くともなしに聞いていると、だいたい事情が飲み込めてきた。新婚旅行帰りの、妻の方が過労で倒れたらしい。心労新婦のご入院です、といったところか。しかし、空の上では入院もできない。
 どうやら看護婦も乗っていなかったらしく、さらにアナウンスが流れる。
「お客様の中に、獣医さまはいらっしゃいませんか‥‥」
 まあ、獣医でもいないよりはましだろう。しかし、いなかったらしい。
「お客様の中に、医師の国家試験に落ちた方はいらっしゃいませんか‥‥」
 だんだん苦しくなってきたようである。しかしそれでも、誰も名乗り出る者はいなかった。
「お客様の中に、子供のころお医者さんごっこが好きだったという人はいらっしゃいませんか‥‥」
 なんだかヤケクソのようだ。しかし、これなら私にも資格がある。私は立上がって手をあげた。
「はいはい、私、お医者さんごっこが大好きでした!」
 言っておくが、別にスケベ心で手をあげたわけではない。純粋に、人命を尊重する気持ちからである。
 すると、私の隣の席からも声がした。
「そういうことは、私におまかせください」
 私は隣を見た。なんと、そこには犬が座っていて、右前足をあげている。しかも、ただの犬ではない。人面犬だ。うかつにも、今までまったく気付かなかった。
 ここでこの人面犬においしい役をさらわれるわけには‥‥いや、犬ごときに尊い人命をゆだねるわけにはいかない。私は、その人面犬に文句をつけた。
「おい、お前は犬だろう。犬に人間が助けられるのか?」
 人面犬は反論する。
「普通の犬なら無理でしょうが、私なら大丈夫です」
「なぜだ?」
「だって私は、人面救助犬ですから」


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