第192回   裸の王様  1998.7.9





「ご隠居さーん、いるかい? おーい、ご隠居さーん」
「なんだい、誰かと思えば熊さんじゃないか。いるかもいないかもないだろう。一間っきりの長屋なんだ、さっ きからあんたの目の前にいるよ」
「おや、ご隠居、こんなところで会うとは奇遇ですなあ」
「何を言ってるんだい。で、今日は一体何の用だね?」
「そうそう、それなんですがね、あっしゃ、どうにもわからないことがあって、それでここはひとつ物知りのご 隠居さんに教えてもらおうと思いまして‥‥へへへっ」
「うむ、それはいい心がけだ。きくは一時の恥、きかざるは志茂田景樹、というからなあ」
「ご隠居ご隠居、そのネタはこないだ使ったばかりですぜ。ネタの使い回しは、せめてもう少しほとぼりがさめてからにした方が……」
「ほとぼりは、埋めるもんじゃないのかい?」
「だからそれも盗作ですって、まったくもう。で、聞きたいことってのは何ですかい?」
「こらこら、それはわしのセリフだよ。熊さんが聞きに来たんだろう?」
「へへへっ、そうそう、聞きたいことってのはね、裸の王様のことなんでさあ」
「むっ、裸の王様?」
「へえ、なんでも、裸の王様とか言う童話だか昔話だかがあるそうなんですが、どんな話なのかあっしは知らねえ。で、ちょっくらご隠居さんに教えてもらおうと思いやして」
「ううむ、裸の王様か……」
「なんでも、王様とか子供とかが出てくるらしいんですが」
「うううううむむむむむ、裸の王様か……」
「なんだい、妙なうなり声をあげたりして。あっ、ご隠居、ひょっとしてご隠居も知らないんじゃあ? へっへっへ、なあんだ、あっしと同じだねえ。安心した」
「ばばばば馬鹿なことを言うんじゃないよ。わしの知らないことがこの世の中にあるはずがないだろう。まあ、あわてずに、ちょっと待ちなさい。……裸の王様……王様……王様……の耳はロバの耳……」
「なにぶつぶつ言ってるんですかい、ご隠居」
「……よし、できた! ……ああいや、もとい、思い出した! いいかい熊さん、よく聞きなさい。むかしむかし、あるところに、ひとりの王様がおったんじゃ」
「はあ、やっぱり王様が出てきますねえ」
「で、この王様というのがなかなかの男前だったのじゃが、残念なことに耳だけが貧相でのう、そのことをいつも悩んでおったのじゃ」
「ぜいたくな悩みだねえ。耳くらい、どうでもいいじゃねえか」
「そうは言うけどな、熊さん、耳というのはとても大切なものだぞ。昔から言うだろう、耳は人間のマナコなり、と」
「……言いますかねえ?」
「言うんだよ。そして、王様がなんとか福耳になりたいと悩んでいたある日のこと、その国にふらりと流しの魔法使いがあらわれた」
「ああ、北海道の北にあるやつ」
「それはオホーツク海だよ。……って、話が進まないだろうが。黙って聞きなさい」
「へえ」
「それで、王様はこの魔法使いに頼んで、福耳にしてもらおうと思ったわけじゃな。ところがこの魔法使いは、悪い魔法使いじゃった。福耳にするかわりに、ロバの耳にしてしまったんじゃ」
「そりゃ大変だ」
「魔法使いはさっさと逃げてしまったが、王様はこれで福耳になったと大喜び。お祝いのパレードをやると言い出した。大臣や召使いたちは、王様が怒るのを恐れて本当のことが言えなかったのじゃな」
「なるほど、よくある話ですねえ」
「で、ついにパレードが始まった。観衆もみんな、ロバの耳を見て驚いたが、あえて指摘しようとするものはいなかった。ところが、そこに一人の子供があらわれる」
「ほい、やっと出たかい」
「やっぱり、子供は無邪気なもんじゃ。王様を指さして、笑いながら『王様の耳はロバの耳っ!』と言ったそうじゃ」
「ははあ、なるほど」
「それからはもう、てんやわんやの大騒ぎ。王様は怒るわ家来は謝るわ子供は泣くわ犬は走るわ猫はこたつで丸くなるわ、大変だったんじゃ」
「なるほど、そりゃすげえ」
「そしてその騒ぎの中、ふらりと流しの弘法大師があらわれた」
「え? 外国の話じゃなかったんですかい? 弘法大師ってのは、日本の人でしょ?」
「なんのなんの、弘法大師は世界中を放浪しておったのじゃ。なにしろ、天竺までありがたいお経を取りに行ったくらいだからのう」
「うーむ、そうだったかなあ……まあいいや。で、弘法大師がどうしました?」
「事情を聞いた弘法大師は、気の毒に思ったんじゃろうな、わしの法力で魔法を解いてやろう、と言ったんじゃ。そして、王様の耳の前で、なにやらお経を上げはじめた。これが……」
「ロバの耳に念仏、ですかい?」
「こらこら、オチを先に言うんじゃないよ。ところが、あの魔法使いもけっこう力があったようで、なかなか魔法が解けない。魔法使いと弘法大師、これはまさに……」
「息詰まる攻防、ですかい?」
「オチを先に言うなというのに。とにかく、苦労の末なんとか魔法は解け、王様の耳は元に戻ったそうじゃ」
「なるほど。で、『王様の耳はロバの耳』と言った子供はどうなりました? 正直者だと誉められたとか」
「いやいや、世の中そんなに甘いものではない。不敬罪で逮捕され、縛り首になってしまったそうじゃ」
「……ううむ、それはなんだか、救いようのない話ですねえ……」
「この出来事があってからというもの、王様は暴君になってしまってのう、苛烈な政治で国民を苦しめたり、隣国に戦争を仕掛けたりした、ということじゃ」
「……なんだか、ますます救いようがないような気が……」
「それ以来、人々の間ではこんなことが言われておる。王様の耳がもう少し長かったら世界の歴史は変わっていただろう、と」
「…………」
「ん? どうした熊さんや。きれいにオチもついたことだし、話は終わりだぞ」
「……いや、裸の王様の話でしょ? 裸はどこに出てきたんで?」
「ああ、そんな細かいことは気にしないでよろしい」
「と言われても、気になりますよ」
「ううむ、そうか、うううむ……。……実はな、あとで調べてみると、ハダカというのは王様の本名だった」




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