第200回   名探偵が多すぎる  1998.8.13





 重くのしかかるような波涛は岸壁を打ち、横殴りの風がその飛沫を撒き散らす。雨雲が空を覆い、今にも降り出しそうだ。そんな状況の中、京都府警の四条警部は苦労して煙草に火をつけると、つぶやくように言った。
「久遠寺さん、ひょっとしてこの島そのものに、何か仕掛けがあるのでは? モーターで回転して向きを変えるとか、抜け穴で本土に通じているとか、そっくり同じ形の島がもうひとつあるとか……」
 私は答える。
「いや、それはないでしょう。この島にはなんのトリックもありません。トリツク島もない、というくらいですから」
「……なるほど、さすがは久遠寺さん、素晴らしい推理です」
 そう言いながらも、四条警部の顔は冴えない。

 私の名は久遠寺翔吾、JDC(日本探偵倶楽部)に所属する私立探偵だ。人呼んで「ダジャレ探偵」である。
 前回の登場からすでに一年近く、ずいぶん久しぶりの登場だが、この間、決して遊んでいたわけではない。空前絶後の大事件にずっとかかりっきりだったのだ。その事件とは……まさに泣く子も黙る寝る子も育つ、切り裂きジャックでさえ裸足で逃げ出すほどの恐ろしい事件である……。

 ここは日本海に浮かぶ孤島、耳袋島。私と四条警部がこの島にやってきたのは去年の秋のことだ。
 この島に新規オープンした高級リゾートホテル。そのセレモニーに招待された各界の有名人五千人。そこに届いた殺人予告状。ちなみに、私と四条警部ももちろん「有名人」のうちである。
 予告状には「出席者全員を殺す」と書いてあったのだが、まあそんな話は誰も信じるわけがない。最初に何人か殺されたときも、よくある普通の連続殺人事件だと思い込んでいた。ただ事ではないと気付いたのは、犠牲者が百人を越えてからである。
 そしてお約束どおり暴風雨が吹き荒れ、島は孤立してしまう。外界に助けを求めることもできない人々をあざ笑うかのように、殺人鬼は次々と犯行を重ねていく。捜査陣(といっても私と四条警部だけだが)の必死の努力も虚しく、今年の夏にはついに犠牲者が三千人を越えた。つまり、島に集まった人々は半分以上が鬼籍に入ってしまったのだ。このような状況になっても、いまだに犯人のしっぽさえつかめない。四条警部の顔が冴えないのも当然である。

 相変わらず、海は荒れている。
 その波間に、小さく光るものが見えた。ガラスのようだ。四条警部が波打ち際まで降りていき、その光るものを拾い上げる。透明なガラス瓶だ。コルクでしっかりと栓をされ、中に紙のようなものが入っている。
 四条警部は中から取り出した紙をしばらく眺めていたが、やがて私の方に歩いてきて言った。
「久遠寺さん、あなたにですよ」
 それはJDC本部から私に宛てた手紙だった。


 かつてない事件に巻き込まれ、苦労していると風のうわさに聞いた。
 君一人の手には負えないだろうから、探偵の援軍を送る。協力して事件解決を目指してくれ。
 では、健闘を祈る。
                     JDC総代


 君一人の手には負えない、だと! ……ああしかし、事実そのとおりだからなんの反論もできない。こうなれば、つまらないプライドなど捨ててひたすら事件解決を目指すのみである。
 ところで、援軍というのはいつ来るのだろうか? 私はその手紙の日付を見た。今年の三月である。……まあ、瓶に詰めた手紙だから届いただけでも僥倖だが、援軍の方が到着しないのはなぜだろう。まさか、すでに殺人犯の毒牙にかかって……。
 などと、私が不吉な想像を巡らせていると、四条警部の叫び声が聞こえた。
「久遠寺さん! あれを!」
 海に、何か巨大なものが浮かんでいる。さながらビルのようにそびえ立つ黒い影。こちらに近づいてくる。
 このシルエットには見覚えがある。空母……それも、米第七艦隊所属のエンタープライズだ。この空母が、文字どおり「援軍」なのか?

 しかしエンタープライズは、十数人の人間と大量の荷物を降ろすと早々に立ち去った。
 いまだに驚愕から覚めやらず茫然自失としている私に、残された者の中から一人の女性が近づいてくる。ショートカットで背が高く、なかなかの美人である。年は二十代半ば、というところか。その女性は微笑を浮かべると、私に向かって言った。
「ダジャレ探偵の久遠寺翔吾さんですね? ご苦労様です。大変遅れましたが、JDCからの援軍、ただいま到着しました」
「……あ、ああ、これはどうも」
「しかし、耳袋島の位置を確認せずに出航したのは失敗でした。途中で道に迷ってエーゲ海から大西洋まで流され、挙げ句の果ては氷山にぶつかって遭難するところを通りすがりの空母に救われ、ついでにここまで送ってもらった、というわけです」
「……な、なるほど」
「しかし、ここに至る航海も凪ではありませんでした。巨大空母の中を徘徊する姿なき殺人鬼、次々と喉をかき切られて死んでいく兵士たち、我々JDC精鋭部隊は、犯人を罠にはめるため、ついに最後の賭けに出たのです。その賭けとは……」
 その女性は、私が見つめているのに気づくと照れ笑いを浮かべて言った。
「……あ、あら、ごめんなさい。とりあえず、空母の事件は関係ありませんでしたね。今は、この島の連続殺人事件に全力を傾注しましょう」
 そう言うと、その女性は真面目な顔になって右手を差し出した。
「自己紹介が遅れました。私は比企野あゆみ。今回のツアー……じゃなかった、援軍のマネージャー役を拝命しました。もちろん、私自身も探偵ですが。人呼んで、探偵紹介探偵」
 私は握手をしながら答える。
「よろしく、久遠寺です。……しかし、探偵紹介探偵とは?」
「ええ、JDCには様々な能力と適性を持った探偵がいます。それらの探偵たちの能力を把握し、紹介し、もっとも事件に適した探偵を割り当てる、それが探偵紹介探偵です。いわゆるメタ探偵の一種ですね」
 なるほど。しかし、探偵紹介探偵を探偵と呼んでいいものだろうか? などという私の疑問にはかまいもせず、比企野あゆみは場を仕切って話を進めていく。
「久遠寺さんとは初対面の人も多いでしょう。とりあえずは、精鋭部隊を全員紹介しておきましょうか」

 まず登場したのは、やせて眼鏡をかけた三十前後の男である。
「こちらは、回文探偵さんです」
「犯人は……」
 おおっ、いきなり犯人を指摘するのか?
「灘正紀貴様だな?」
 灘? いや、この島にそういう名前の人物はいないぞ。
「三人は犯人さ」
 三人? 犯人は三人組なのか?
「近日再会殺人鬼」
 そう、だからその殺人鬼を探しているのだ。
「猪苗代湖で殺しはない」
 猪苗代湖? どういう関係があるというのだ。……はっ、さては、推理をしているのではなくて単に回文を披露しているだけじゃないのか? そうだろう、こら。
「……私負けましたわ」
 ええい、役に立たないやつめ。

 次に登場したのは、小学生の双子の姉妹だ。
「この二人は、しりとり探偵です」
「よろしくお願いしま〜す」
「すべての謎は解けました」
「大変な事件だったけど、私たちが来たからにはもう大丈夫」
「無事、この島を脱出できますわ、私たちの推理で」
「でもその前に、一曲聞いてください。私たちのデビュー曲です」
「ス・テ・キ・な・連続殺人!」
「……ああっ、『ん』がついてしまった!」
「まだまだ修行が足りないようです。出直してきますね」
「バイバ〜イ」
 ……何しに来たんだ、この二人は。

 その次は、髪の薄くなった五十がらみのおじさんだ。
「この方は、死語探偵です」
「あー、何と申しましょうか、こんな事件が起きるとは、むちゃくちゃでござりまするがな、びっくりしたなーもう」
「そうです、だから何とかして犯人を捕まえないと」
「あたり前田のクラッカー、犯人逮捕まで三分間待つのだぞ、止めてくれるなおっかさん」
「……なんだかこの人も頼りになりそうにないな」
「とんでもハップン歩いて十分、私は嘘は申しません」
「そう言うなら、ちゃんと推理してくださいよ」
「記憶にございません。どーもすいません。……お呼びでない? こりゃまた失礼いたしました」
「ああっ、やっぱりそうか。ええい、帰れ帰れ」
「バハハーイ」
 もう少しまともな探偵はいないのか?

 その次は、制服を着た幼稚園児の男の子。……なんだってこんなのを連れて来るんだ?
「この子は、なぞなぞ探偵です」
「頭が三つに目が三つ、手が五本に足が四本な〜んだ?」
 ううむ、連続バラバラ殺人事件の現場かな?
「残念でした。答は、二匹の傘化けを連れて歩く丹下左膳でした」
 ああっそうか、なるほど。
「ぼくの勝ちだね。じゃあね、おじさん」
 誰がおじさんやねん!

「続いては、早口言葉探偵です」
 なんか、そんなのばっかりだな。
「この謎を解くカギ……それは、阿呆陀羅経が握っています。はあ〜チャカポコチャカポコ」
 ううむ、阿呆陀羅経なんか出てきたか?
「阿呆陀羅経には三種類の色がある。すなわち、赤チャカポコ黄チャカポコ茶チャカポコ」
 ……って、結局それが言いたかったのか。
「さらに、茶釜もカギを握っている。当然、この茶釜も三色あって、すなわち、赤茶釜黄茶釜茶茶釜」
 茶釜なんて出てきてないぞ。
「ところで、被害者が首を切られて殺されていた現場には米と卵が置いてなかったか? 生首生米生卵」
 首を切られた被害者もいないってば。……うむ、しかし、この早口言葉探偵は見どころがありそうだ。鍛えれば、私の弟子くらいはつとまるかもしれないぞ。

「次は、誤字脱字探偵です」
「はじまして。たわしが五時脱字探偵す。この殺人時件謎はからなず私が溶いて魅せまます。じっっちやんの何かけて!」
「まあ、この人は何を言っているのかわからないことがあるので、あまり役に立ちませんね」
 だったら連れてくるなって。

「次は、フェイスマーク探偵です」
「<m(__)m> (/\) \(^o^)/ \(^^\) (/^^)/ ((((((^_^;) (p_-) φ(.. ) ( ^_^)/□☆□\(^_^ )」
「この人は、さらに何を言っているのかよくわからないので、やっぱり役には立ちませんね」
 だからそういうやつを連れてくるなってば。
「( ¨)( ‥)( ..)( __)」
「あっ、スネた」
 しかし、よくわからないぞ。
「(^_^)(/\)(-_-R)」
「あっ、怒った」
 やっぱりよくわからないぞ。

「次は、文字化け探偵です」
「どう解裲ケ辰気譴討い襪蕕海譴任いい里@。犯人x麭゙u\qvシqソqツq鞍淑未C蕋複稗咾悗諒儿垢浪燭世辰燭鵑澄」
「この人も何を言っているのかまったくわからないので、まったく役に立ちませんね」
 どうしてそういうやつを連れてくるんだ。
「なに裲ケC景拔Cq_qナq「qウqツqケq「q擦佑个覆蠅泙擦漫」
「あっ、怒った」
 ……のかどうかもわからないぞ。

 どうやら、援軍の探偵というのはこれで全員のようだ。
「久遠寺さん、どうです? なかなか頼もしい人たちでしょう?」
 それは本気で言っているのか? こんな探偵たちで、はたして事件が解決できるのだろうか?
 匙を投げかけた私の目に、巨大なコンテナが映った。探偵たちの荷物の中で一番目立っている。こんな巨大なコンテナを必要とする探偵がいただろうか? 私は聞いた。
「比企野さん、あのコンテナは何ですか?」
「……あ、あれは……」
 探偵紹介探偵・比企野あゆみはなぜか口ごもる。
「教えてください。誰の荷物なんですか? 中身は?」
「あれは……誰の荷物でもありません。あの中に、探偵がいるのです」
 比企野あゆみは、意を決したように話し始める。
「あの中にいるのは……そう、究極の探偵です。この地球上で起きる最大最後の事件、最後の審判……その最後の審判の 謎を解くために生まれた探偵だと言われています。人呼んで審判探偵。しかし、その姿を見た者は誰もいません。最後の審判の時に姿をあらわす、ということです……」
「その探偵が、なぜこの島に? ひょっとして、この事件が最後の審判……」
「いえ、そんなことはないはずです」
 その時。コンテナの中からかすかに音が聞こえた。分厚い扉のわずかな隙間から、一枚の紙がひらひらと落ちてくる。私は駆け寄って、その紙を手に取った。うしろから比企野あゆみものぞき込む。
 その紙に記されていたのはプリンターで打ち出されたアルファベットだった。英語ではない。フランス語でも、ドイツ語でもない。いや、単にでたらめにキーを叩いた、そんな風に見える。
「これは、一体……」
 私はそのでたらめな文字列を目で追った。ひょっとして、暗号になっていないとも限らない。しかし、解読するカギがわからなかった。唯一、途中に「hannin」と書かれていたのを発見できただけだ。
「比企野さん、これは……審判探偵が、私たちに何かを伝えようとしているのでは?」
「い、いや、そんなはずは……」
「開けてみましょう。開けて、審判探偵に推理を聞くのです」
「それはダメです。この探偵の推理は、最後の審判の時のために……」
「いや、今この場こそ、審判探偵の究極の推理が必要なのです!」
 私は制止を振りきって扉に手をかける。その時、私の脳裏を一瞬よぎった想像は、コンテナの中を埋め尽くす巨大な脳髄のグロテスクな姿だった。

 扉が開いた。
 私と比企野あゆみは、おそるおそる中をのぞき込む。
 猿だ。そのコンテナの中には、多数の猿がいた。
 その猿たちが床に座り込んで、一心不乱にタイプライターのキーを叩いている。
 これが……これが、究極の推理をおこなうという審判探偵の正体か。
 私はゆっくりと扉を閉めた。

「あれが……あの猿たちが……」
 さすがに比企野あゆみもショックを受けているようだ。そんな比企野に背を向け、私はつぶやいた。
「なるほど。審判探偵ではなく、チンパン探偵か……」
 どうやら、事件が解決するのはまだまだ先のようである。




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