第255回   偉大なる母の教え  1999.5.9





 思えば俺がご幼少のみぎりには、My母から「食べてすぐ寝ると牛になるわよっ!」などと脅かされていたものですが。
 そうなのです、ご幼少のみぎりの俺は、満腹になるとあおむけに寝そべって腹などぽんぽんと叩いていたりしたものです。
 えと、今ふと疑問に思ったのですが、このみぎりというのは何でしょう何でしょう。よくわかりませんが、やはり感謝しないといけないのでしょうか。みぎりよ今夜もありまとう。
 まあそれはともかく、角が生えることも荷馬車に乗せられることも不吉な未来を予言することもなかったことを思えば、あの時のMy母の言葉というのはいまいち信用がおけなかったのではないかと。今になって気づいた次第でありまいた。

 そして今日も俺は、ご飯にかつお節にお醤油という涙が出るほど豪華な食事を取ったあと、畳の上にごろんと寝そべったりしていたのです。
 しかし、食べてすぐ寝ると牛になるとはいえ、とうてい満腹とは言えない状態でもやはり牛になるのでありましょうか。生物学者の方々には、是非ともその辺をはっきりさせていただきたいものです。いや、この場合は民俗学者とか文化人類学者の方が正しいのかも。などとガラにもなく高尚なことを考えておりますと、枕元に一冊の本が。これがなんと、『古代ローマの食生活』という本なのです。買った覚えもない本がなぜここに? もしや、職場からの帰り道にふらふらと本屋に寄って万引きなどしてしまったのでは? ああ、とんでもないことをしてしまいまいた。神よ許したまえ。しかし、どうせ万引きするなら食べられるものをいやゴホゴホゴホ。

 そんなわけで、古代ローマの人々というのも、俺と同じくろくなものを食べていなかったに違いありません、なにしろ昔の話ですからね、などと根拠もなく決めつけ、寝そべったままでその本をひもといたりしてみたのですが。これがあなた、腹が立つったらありゃしません。いや、体は寝てるんですけど。とにかくむかつくのですむかむかむかむかむか。
 どこがむかつくかというと、とんでもない贅沢な食生活をおくっているのですよむかむか。昔の人のくせにっ。現代人のはずの俺は、彼らより貧弱な食生活をおくっているというのにっ。
 とにかくこの本には、こんなことがかいてありまいた。

 古代ローマの貴族たちの食堂というのは、大きな食卓の周囲にぐるりとベッドが置かれていたそうであります。
 では、どうやって食べるのかといいますと、食卓に頭を向けてベッドに左腕を下にして横たわり、回ってくる料理を、スープはスプーン、食べ物は金属の楊枝で口に運んだというのです。何ということでしょうか。おまけにナイフとフォークはなくて、手も使っていたというから驚きです。寝ころんだままで素手で食事をするとは、なんとお行儀の悪い。ここはひとつ、My母に叱ってもらわねばなりませんなりません。では母上、どうぞ。
「こらっ! お行儀が悪いですよ! そんなことをしていると、うちの息子みたいになりますよっ!」
 ああ母上、なんとひどいことをしくしくしく。でもどうやら日本語だったので通じてないようです。よかったよかった。よかったのか?

 My母にはとっととご退場いただきまして、話を進めますが。
 この古代ローマの貴族たちは、浴場へ行くたびに右手を熱湯に長時間ひたしてガマンしていたそうです。これは決して熱湯コマーシャルに出るためではありません。そう、熱い料理を一刻でも早く素手でつかめるようにするためですね。まったく食い意地が張っているというかなんというか、困ったものでありまいた。
 さらにさらに、さらにですよ。この貴族たちは恐ろしいまでの食いしん坊でした。バンザイ。たとえ満腹になっても、まだ食べたいと言って食事の途中にのどに指を突っ込んで胃の中のものをすべて吐き出し、空腹にしてからまた食事を続けたというのです。ああ、なんともったいないことをするのでせうか。まったくうらやましい限りです。俺も、次に生まれ変わるときは古代ローマに生まれたいものです。そうすれば、毎日食っちゃ寝食っちゃ寝の天国のような生活ができたというのに。

 などと空想にふけっていると、再びMy母が登場しました。俺に似て出たがりですねまったく。
「あのね、古代ローマの貴族たちがどうして毎日遊び呆けていられてたかわかる? それはね、貴族たちよりはるかに多くの奴隷がいて、その奴隷たちが汗水たらして働いていたからなのよ。あなたが古代ローマに生まれ変わっても、奴隷に生まれ変わる確率の方がはるかに大きいでしょうね」
 ああ母上、まったくおっしゃるとおりでございます。この俺が間違っていました。もう妙なことを考えず、地道に暮らしていきますいきます。

 しかし母上、とりあえず明日のご飯はどうしましょう。お米がないのですパンもないのですしくしくしく。
 あっそうだ。パンがないときに食べろと母上が教えてくれたケーキがありまいた。これを食べて飢えをしのぐことにしませう。
 でも母上、ふと思ったのですが、こんな高価なケーキばかり食べているから俺はいつまでたっても貧乏なのではないでしょうか?




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