第254回   靴ひもに気をつけろ  1999.5.5





 靴ひもが切れるとよくないことが起きるのである。そりゃもう、誰が何と言おうと、確実に起きるのだ。これは、ゆでたまご作『キン肉マン』などを読めば簡単に確認できる。もっとも、この『キン肉マン』の場合は、誰の靴ひもでもいいわけでなく、もっぱらテリーマンの靴ひもに限られるのだが。
 たとえば。「キン肉星王位争奪編」で、マリポーサ・チームに苦戦しているキン肉マン・チームを救うために日本へ向かっていたテリーマンの、新品に取り替えたはずのシューズのひもが突然切れる。そのとき日本では何が起こっていたかというと、キン肉マンがミキサー大帝に敗北していたのである。実に恐ろしい話だ。さらにテリーマンは先を急ぐ。すると、またシューズのひもが切れる。そのときリングでは何が起こっていたかというと、ミキサー大帝を撃破したミートくんが力尽きて倒れてしまったのである。まさに血も凍るような話だ。
 まあ、このテリーマンの場合は虫の知らせとかいうレベルではなくほとんど超能力の域にまで達しているようだが、そこまで行かなくてもやはり靴ひもが切れるとよくないことが起きる、というのはよくあることである。

 しかし、私の今までの人生を振り返ってみても、靴ひもが切れたことなど一度もない。
 もちろん、だからといってよくないことがまったくなかった、というわけではなく、それどころかよくないことだらけだったのだが、黒猫に目の前を横切られたり北枕で寝たり鬼門の方角に便所を作ったり雛人形をしまい忘れたりウナギと梅干しを一緒に食べたり畳の縁を踏んだり秋ナスを嫁に食わせたり井の頭公園でボートに乗ったり眉毛のあるコアラを見つけたりしたことはあっても、靴ひもが切れたことだけはないのである。
 そもそも、なぜ靴ひもが切れないのだろうか。今まで私の人生を通り過ぎていった靴たちのことを思い出してみると、靴底がすり減って捨ててしまったり靴先に穴があいて捨ててしまったり恋人宅へ遊びに行ったときに履き間違えて帰ってきたり電車で居眠りしているときに瞬間接着剤で床にくっつけられてそのまま置いてきたり公園で昼寝をしているといつの間にか雀が巣を作ってしまいそのまま置いてきたり十二時の鐘が鳴って舞踏会から帰るときに忘れてきたりしたことはあっても、靴ひもが切れたことだけはないのである。つまり、靴ひもが切れる前に他の原因で靴を無くしてしまうからなのだろう。やはり、靴はもっと大切に履かねばならない。そうすれば、いつかは靴ひもも切れてくれることだろう。

 ところで、そもそもなぜ靴ひもが切れるとよくないことが起きるのかというと。話は江戸時代にさかのぼる。
 この言い伝えができたのは明治になって、人々が靴を履くようになってからのことだが、源流となる言い伝えは江戸時代から存在した。すなわち、「草履の鼻緒が切れると、よくないことが起きる」である。当時、葬式の際に履いた草履や草鞋は、埋葬が済むと帰り道に墓場の出口で捨ててくるものであった。埋葬に使った履き物は穢れているから、捨てないといけないのである。ところが、ただ捨てるだけでは駄目だ。妖怪やもののけなどがそれを拾って履いてしまうからである。そこで、妖怪たちに履かれないように、鼻緒を切ってから捨てたのだ。だから本来は、「よくないことが起きないように鼻緒を切った」のだが、これが逆転して「鼻緒が切れるとよくないことが起きる」になったのだろう。
 ええと、この辺の話は信じてもらって結構です。ほ、ほんとだってば。私だって、たまには本当のことを書くのである。……などと強調すると、かえってアヤしいな。まあいい。

 とにかく、数百年に渡って、対象を変えつつも言い伝えられてきたことであるから、今後も忘れ去られることはないだろう。人類が宇宙に進出し、悪い宇宙人と星間戦争を繰り広げるようになっても、依然として靴ひもの言い伝えは健在に違いない。
 ここで注意しなければならないのは、例のあの遊びである。そう、誰しも子供の頃にやったことのある、自分の靴ひもを引っ張って自分の体を持ち上げようとする遊びのことだ。地球上ではなかなか成功しないが、無重力の宇宙空間では簡単にできてしまうのである。しかし、いくら簡単にできるからといっても、宇宙服を着てやってはいけない。万一靴ひもが切れたりしたら、たちまち空気が抜けて生命の危機に直面することになる。宇宙でも、靴ひもが切れるとよくないことが起きるのだ。




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