第262回   バス停ばあさんの伝説  1999.6.9





 困ったことに、会社の私のデスクの隣には小さなミーティング机が置いてあるのだ。
 この机、わざわざ会議室を使うまでもない短時間の打ち合わせなどで利用されているのだが、仕事をしているすぐそばで打ち合わせをされるとけっこう迷惑なのである。特に、私のセクションには地声の大きい者が何人かいて、こいつらが白熱した打ち合わせを始めたりするととても仕事のできる状態ではなくなってしまう。
 この状況、なんとかならないものか。いっそのこと、このミーティング机をこっそり別の場所に移動させてしまおうか、いやしかし一気に移動させると気付かれてしまうので、バレないように毎日少しずつ動かしていこうか、などとよからぬことを企んでいると、ふと、昔聞いた都市伝説を思い出した。こんな話である。


 むかしむかし、小さな駄菓子屋を一人できりもりしているばあさんがいた。その駄菓子屋は広い道路に面していて近くに中学校もあったが、売り上げは思わしくなくばあさんは質素な暮らしを強いられていた。
 田舎の中学校のため、バスで通学している学生も多い。バス停はばあさんの店から十メートルほど離れたところにあり、登下校の時間になると学生たちで賑わっている。あの学生たちが店に来てくれれば……そう考えたばあさんは一計を案じた。その日から、毎日夜になるとこっそりとバス停を店の方向に動かしたのだ。バレないように、一日に五ミリずつ。
 そして数年後。バス停はばあさんの店の真ん前に移動し、店はバス待ちの学生たちで賑わうようになった、という。


 そうなのだ。ミーティング机にしろバス停にしろ、一気に動かすと気付かれるが毎日少しずつ動かしていると意外とバレないものである。カツラも同じだ。ある日突然、急激に髪の毛が増えるとこれは絶対にカツラだとバレる。だから少しずつ植毛していき、不自然にならないように増やしていくのである。これも今となっては懐かしい思い出……って、いやいや、私は違うぞ私は。
 それはともかく、この現象はやはり人間の認識能力の盲点を突いたものだろう。大脳の空間識野は、特に急激な変化、すなわち微分情報を抽出するようにはたらく。それゆえ、微分量が少ない緩やかな変化は認識されにくくなっているのだ。
 なぜこのようなはたらきをするようになったのかは、進化論で簡単に説明がつく。ある動物の認識する外界は、動くものと動かないものに大別される。動かないものというのは、大地・山・樹木などだ。これらはその動物にとって、友好的ではないが敵対的でもない。中立なのだ。ゆえに、特殊な場合をのぞいてはこれらの動かないものに注意する必要はない。これに対して動くものは要注意である。動くものは、さらに三種類に分けられる。すなわち、敵・餌・同種の異性である。敵からは逃げねばならぬし、餌と同種の異性は追いかけねばならぬ。これらを素早く発見することは、生きていくためには重要な能力である。したがって、動くもの、すなわち微分量が大きいものを認識する能力が進化の過程で身についたのであろう。これは、発見のきっかけとなった都市伝説にちなんで「バス停ばあさん効果」と呼ばれている。

 他に似たような話がなかったかと考えていると、子供のころに読んだ『忍者のひみつ』とかいう本を思い出す。これには、忍者になるための訓練法がいろいろと書かれていて、水を張った洗面器に顔をつけて肺活量を高める訓練だとか、腰に結び付けたふんどしをなびかせて地面につかないように走り脚力を高める訓練だとかがあったのだが、その中に、ジャンプ力を高める訓練というものがあった。
 麻の実を地面に植えると芽を出す。その芽の上を飛び越える。これは簡単だ。ところが麻は成長が早く、どんどん高くなってくる。最初のうちは楽に飛び越えられていたのだが、だんだん難しくなってくる。それでもなんとかして飛び越えているうちに、知らず知らずのうちにジャンプ力がつく、という訓練法だった。
 実を言うと、これなら私にもできそうだ、と思って試みたことがある。あれは小学校の、二年生だったか三年生だったか。その本を読んで感化され、母親に「麻の実をちょうだい」とねだったのだ。しかし、麻の実などそう簡単に入手できるものではない。母親がかわりにくれたのは朝顔の種だった。一瞬喜びかけたが、さすがに朝顔では訓練にならないであろうことは当時の私にも理解できたので、その種を植えるのはやめて友達の家からひまわりの種をもらってきた。そしてその種を庭に植え、芽が出てからは毎日それを飛び越えていた。早く大きくならないかなあ、これじゃあ簡単に飛び越えられて張り合いがないなあ、などと考えながら。
 ……と、私の記憶はそこで途切れている。私はいつまでひまわりを飛び越えられたのか、そのひまわりは結局どうなったのか、まったく覚えていないのだ。だから、思い出の中の私は、常にひまわりを飛び越えられた私である。
 そして今年も夏が来る。どこかでひまわりを見つけると、ふと幻影がかいま見える時がある。頭より高くそびえるひまわりの花、その上を軽々と越えて、はるか上空までジャンプする子供のころの私の幻影が。

 いかんいかん。つい魔がさして、「ちょっといい話」で終わらせようと考えてしまった。気を取り直して、バス停ばあさん効果の話に戻そう。
 このバス停ばあさん効果、実にさまざまなところに応用が可能なのだが、この応用を国家レベルの規模で、しかも数十年前から実施している国がある。北朝鮮だ。毎晩午前二時、北朝鮮の兵士がひそかに大挙して韓国との国境に集まり、その国境線を南にずらしているのである。気付かれないように、一日に五ミリずつ。
 国家百年の計などというが、まさに遠大な計画である。韓国全土を掌握するのに、何年かけるつもりなのだろうか。気が長いというかなんというか、せっかちな日本人にはとても考えつかない計画だろう。
 え? 何十年も前から実行しているわりには、国境線が変化したというニュースなど聞かないって?
 それはそうである。なぜなら、毎晩午前三時になると、韓国軍の兵士たちが集まって国境線を北へずらしているからだ。気付かれないように、一日に五ミリずつ。




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