第263回   ぼくの会議室へおいで  1999.6.16





 人はなぜ会議をするのか。そこに会議室があるからだ。

 ……などという格言があるが、本当だろうか。私はどうも懐疑的だ。
 なぜなら、人は会議室などなくても会議をする。窓際のミーティング机で、廊下の片隅で、中庭のベンチで、食堂のテーブルで、トイレの個室で。いつでもどこでも誰とでも、暇さえあれば、いや暇がなくても会議はおこなわれる。人は会議をするために生まれてきたのか。会議本能は悠久の過去から遺伝子の中に刷り込まれているのか。神よ、なぜ人をこのような性にお造り給うた。お答えください。哀れな仔羊をお導きください、神よ。……ああ神よ、なぜ答えてくださらぬ。ひょっとして、あなたも会議中ですか。
 そんなくだらないことを考えながら、私は会議室への道を急いでいた。開始時刻は午前十時。すでに五分過ぎている。遅刻だ遅刻だ。聞いて極楽見て遅刻。だから、いちいちギャグを考えなくてもいいって。
 そしてようやく会議室にたどりついた。ドアをそっと開けて中をのぞきこむ。しかし、誰もいない。照明も消えたままだ。これはいったいどういうことだ。ひょっとして会議室を間違えたのかと思ってドアの上のプレートを確認する。ちゃんと『鷽の間』と書いてある。右隣は『鷺の間』、左隣は『鴨の間』だ。間違いではない。するとみんなはどこへ行ったのだ? 神隠しか? 集団密室消失事件か? マリー・セレスト号か? ……まあ、そんなこともなくて、みんな遅刻していると考えるのが妥当だろうな。
 それにしても、開始時間を守れないとはどういうことだ。社会人として失格だぞ。まったく、近頃の若い者は。嘆かわしい。ぶつぶつ。仕方ない、集まってくるまで待つとするか。

 待つこと約五分、ようやく一人到着した。
「いやあ、ごめん。遅刻だ遅刻だ。聞いて極楽見て遅刻」
 そのギャグはさっき私が言ったぞ。
「ん? なんだ、まだ始まってないのか。急いで来て損しちゃったな。まあいい、始まったら起こしてくれよ。グウ……」
 こらこら、いきなり寝るんじゃない!
 さらに五分後、もう一人到着した。
「ごめんなさ〜い、遅刻よ遅刻っ。聞いて極楽見て遅刻」
 だから、それはさっき私が言ったというのに。
「あら、まだ始まってないのか。じゃあ、ちょっと朝ご飯買ってきま〜す」
 こらこら、待てって! ……ああ、行ってしまった権の夏。
 しかし、もうすでに十時十五分だぞ。会議は十一時までの予定だというのに。いつになったら始まるのだ。
 さらに五分後、もう一人到着。
「いや、すまぬすまぬ、遅刻でござる。聞いて極楽見て遅刻」
 だからそれはっ!
「ううむ、まだ始まっていないようでござるな。では、しばし待つとするか。茶を一杯所望するぞ」
 茶くらい自分でいれなさい!
「ただいま〜。コンビニで朝ご飯買ってきたよ。えっとね、おにぎりは日高昆布にシーチキンマヨネーズに鶏五目に紀州梅。それと、カレードーナツとスペシャルサンドとカフェオレと金の烏龍茶」
 一人で朝からそんなに食べるのか。と言っているうちにもう一人来たぞ。
「すいませ〜ん。電車の中で、痴漢をしばき倒してたら遅刻しちゃいました。聞いて極楽見て遅刻」
 ああもう、好きなだけ使ってくれそのギャグは。
「あ〜っ、おにぎりがあるじゃない!」
「食べる?」
「うん、食べる食べる! いただきま〜す!」
「あっ、ちょっと、そのシーマヨはあたしのキープよ!」
「ところで、拙者は緑茶が欲しいのだが」
「静かにしてくれよ。眠れないじゃないか」
「うわっ、びっくりした。なんでこんな所で寝てるんですか。仕事中ですよ。もぐもぐ」
「仕事中におにぎり食ってるヤツに言われたくないなあ」
「まあひどい! じゃああなたは、仕事中はトイレに行かないんですか? ……ってこら、シーマヨはあたしのだって言ってるでしょ!」
「まあまあ、硬いこと言わずに」
「そう、この椅子は硬くて寝にくいんだよ」
「やむをえん、緑茶がないならこの烏龍茶で我慢しようぞ」
 こらこら、収拾がつかないではないか。困ったものだ。
 ところで、これで出席者は全員そろったのではないのか? まだ会議は始まらないのか? そもそも、議長は誰だ?
「え、議長? あたしじゃないわよ」
「あたしでもないわよ」
「拙者でもござらん」
「おれじゃないぞ」
 そしてもちろん、私でもない。これはどういうことだ? もしかして座敷童子か?
「なんだ、議長はまだ来てないのか?」
「そんなはずないわよ。出席者はこれだけのはずだし」
「どうしてこれだけってわかるんだ?」
「だって、開催案内にそう書いて……あれ? なかったっけ?」
「とにかく、誰が議長なのよ」
「ひょっとして、谷啓だったりして。ぎちょ」
「却下!」
「最後まで言わせてくれよお。しくしく」
 だから、収拾がつかないというのに。
「ええと、そもそもこの会議の議題は何だろう?」
「うーむ、なんだったかのう」
「……って、誰も知らないの?」
 そういえば……私も、よくわからないまま出席してるなあ。えっと、開催案内には何て書いてあったかなあ。……と、そもそも開催案内は来たか?
「ええと、開催案内は……」
「そんなの、見た覚えないぞ」
「あれ? じゃあ、誰かから直接聞いたんだっけ?」
「うーむ、覚えてないなあ」
「じゃあそもそも、あたしたち何でここに集まってるの?」
「何でだろう?」
「あ〜あ。ガセネタだったのか。せっかく朝ご飯も食べずに来たのに」
「痴漢にトドメも刺さずに来たのに」
「化粧もせずに来たのに」
「パンツもはかずに来たのに」
 わ、私だって、雑文も書かずに来たのに。
「しかし不思議だなあ。いったい、誰が何の目的で我々を集めたんだ?」
「単なる連絡の行き違いだろ?」
「偶然じゃないの?」
「シンクロニシティーってやつね」
「ちょっと違うぞ」
「運命に導かれし五人の戦士が、今、ここに集う……」
「はいはい、面白いね」
「あっ、馬鹿にしてるな!」
「ま、まあとにかく、ここでこうしていても意味がない。とりあえず解散にしよう」
「この謎は解かなくていいの?」
「謎は謎のままにしておこう。これは、人類が決して手を出してはいけない禁断の領域なのだ……」
「はいはい、面白いね」
「あっ、やっぱり馬鹿にしてるな!」
「馬鹿でも何でもいいから、もう帰ろうよ」
「そうですね。もうすぐ十一時だし」
 その言葉を聞くと私は立ち上がってドアに近づいた。ノブをつかんで、引く。開かない!
 しまった、やはり罠だったか! 我々は閉じ込められたぞ!
「それは押すドアだって」
「くだらないギャグをやらないでよ。忙しいんだから」
「ほんとにもう、アホねえ」
 ううっ、ぼろかすに言われてるなあ。しくしく。
 そして、束の間の時間を共有した五人の戦士は、そこで別れたのだった。

 ううむ、ずいぶんと時間を無駄にしてしまったなあ。しかしこれでようやく本来の業務に復帰できるというものだ。さあ、デスクに戻ろう。
 と思ったら、もう一件会議があるのを思い出した。まずい。早く行かなければ。ええと、何の会議だっけ。場所はどこだっけ。議長は誰だっけ。ううむ、ちょっと思い出せないが、とにかく重要な会議だ。絶対に出席しなければならないのだ。それでは、急いでいるのでこの辺で失礼。




第262回へ / 第263回 / 第264回へ

 目次へ戻る