第268回   村でいちばんのヒゲ剃りの店  1999.7.20





 鬱蒼とした森に囲まれたその小さな山村は、思わず足を止めて茫然としてしまうほど奇妙な佇まいを見せていた。
 私がその名も知らぬ山村に立ち寄ったのは、ほんの偶然からである。数日前、山奥の湖に河童が出現したという情報を極秘ルートから入手した私は早速その湖へ取材に出掛けたのだが肝心の河童はどこにも見つからず、発見できたのはウナギとマリモと斧を持った女神とジラースとエレキングとピット星人だけだったのだ。まあ、この湖についてはいろいろと面白い話もあったのだがそれはいずれ別の機会にでも語るとして、今回の本題はその湖からの帰りにふと立ち寄った山村である。

 見れば見るほど奇妙な村だった。村の中心には目抜き通りが一本走っていて、その両側には様々な商店が建ち並んでいる。どうやらこの商店街が村の中心……というよりも、この商店街が村そのものなのだ。他には見渡す限り、一軒の民家も見えない。十数軒の商店がこの村のすべて、商店街のみで構成されている奇妙な村である。するとこの村は、それぞれの店が互いに他の店を利用することで生計を立てているのだろうか。近在に他の村もないはずだし、観光客も私のような物好きを除いては立ち寄りそうにない。これで暮らしていけるのか、はなはだ疑問である。
 さらに奇妙なのは、これらの商店の構成である。ここに立ち並んでいるのが、八百屋や魚屋、雑貨屋等の生活必需品を売る店ならばまだわかる。しかし、どうにも扱う商品がマニアックなのだ。目についたものをあげてみると、こんな感じである。

 パキスタン料理専門レストラン『ガネーシャ』
 インターネットカフェ『アンプラグド』
 B級ホラー漫画専門古書店『漫画秘宝館』
 祈祷・占い・霊媒の店『ネクロノミコン』
 医歯薬予備校『全知全能研』
 ポケモンショップ『どこでもピカチュウ』
 塩辛専門店『しおから前から』
 ライブハウス『YUKIKAZE』
 耽美の館『大西美学』
 ファッションホテル『おひるねウサギ』
 タイガースショップ『虎の穴』

 いったい、この村にはどんな住民が住んでいるのだ。パキスタン料理が大好物でインターネットで雑文を読むのが趣味でホラー漫画のコレクターで占いマニアで医学部歯学部薬学部を目指して勉強していてポケモングッズの収集家で塩辛でご飯を食べるのが大好きで夜ともなるとライブハウスで盛り上がりその後は恋人とファッションホテルへ泊まりタイガースのナイターを見ながらビールを飲めれば幸せ、そんな村人ばかりだとでもいうのか。だいたい、耽美の館など、何の店なのかさっぱりわからないではないか。どうなっているのだ。
 どんな経緯でこの村が成立したのか、その辺の商店に入って尋ねてみたい気もしたが、なんとなく怖い話になりそうな気がしたのでそうする勇気もなく、その商店街をぶらぶらと歩いていくと、はずれの方で一軒の店が目に入った。

 カットハウス『チョキチョキハンド』

 理髪店だ。おお、どうやらやっと比較的まともな店を発見できたぞ。そういえば髪もだいぶ伸びてきたし、湖の取材のせいでここ数日ヒゲも剃っていない。ここで散髪してもらうのも悪くないだろう。店の窓で、Vサインをした手の形のアクセサリーがぶらぶら揺れているのが多少気になったが、とりあえずはその店に入った。
 椅子が二つだけの、こじんまりとした理髪店だった。ドアに吊したベルが鳴る音を聞いて出てきたのは、ごく普通の中年のおじさんである。どうやらこのおじさんが一人できりもりしているらしい。他に客はいなく、私はすぐに椅子に座って髪を切ってもらった。散髪屋の常として、このおじさんも髪を切りながらいろいろと話しかけてくる。最近のタイガースの話に始まって、私の血液型と星座を聞いてきたり、この前食べたパキスタン料理のこと、塩辛のおいしい食べ方、昔流行った好美のぼるという漫画家のこと……って、これはもしや! ううむ、やはりこのおじさんに聞いてみるべきだろうか。しかしなんとなく怖いしなあ、などと考えていたら話題が変わった。
「いやあ、実は私はねえ、この村でいちばんのヒゲ剃り上手なんですよ」
 そりゃまあ、理髪店はここ一軒しかないのだからそれも当然だろうが。
「だから私は、この村の住人のうち、自分で自分のヒゲを剃らない人全員のヒゲを剃っているんです。そしてもちろん、自分で自分のヒゲを剃る人のヒゲは剃りませんけどね」
 む。どこかで聞いたような話だぞ。だったらこのおじさんは、おじさん自身のヒゲはどうするのか。もし自分で剃るのなら、『自分で自分のヒゲを剃る人のヒゲは剃らない』に反することになる。もし誰かに剃ってもらうなら、『自分で自分のヒゲを剃らない人全員のヒゲを剃る』に反することになる。どちらにしても矛盾してしまうのだ。これはあの有名な『床屋のパラドックス』である。しかし、いったいどういうことだ? ひょっとしてこの村の人々は、全員こういったパラドックスを抱えているのか?
 などと考えているうちに私の散髪は終了した。店を出ようとすると、一人の初老の男が入店してきた。山伏のような奇妙な格好をした男で、手には巨大な数珠のようなものを持っている。理髪店の主人と親しげに話し出したところを見るとどうやら顔見知りらしい。格好からして、祈祷・占い・霊媒の店『ネクロノミコン』の者だろうか。興味をひかれて、しばらく観察することにする。
 するとおもむろに、理髪店の主人が椅子に座った。そして山伏風の男はその背後に回る。まさか、この山伏にヒゲを剃ってもらうのか? それはパラドックスなのでは? と私が思う間もなく、その山伏は数珠を手に何やら呪文を唱えはじめた。理髪店の主人の頭が前方にがくんと倒れる。どうやら意識を失ったようだ。驚いて山伏の方を見ると、明らかに顔つきが変わっている。その瞬間、私は事態を理解した。生き霊だ。理髪店の主人の生き霊が、この山伏に憑依したのだ。
 そしてその山伏はカミソリを手にすると、慣れた手つきで理髪店の主人のヒゲを剃り始めた。そうか、その手があったか。



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