第269回   悲しき夏祭り  1999.7.26





 人はなぜ夏祭りに行くのか。そこに河内家菊水丸がいるからだ。

 そろそろこの書き出しも飽きられてきたころかもしれないが、まあそれはともかく、夏祭りに行ってきたのだ。
 夏の日射しも山の端に隠れ、そろそろ涼しくなってきた夕刻、どこからともなく風に乗って聞こえてくる祭囃子に誘われて歩いていくと、そこは名も知らぬ神社の境内、今まで近所にこんな神社があったとは気付かなかったが、せっかくだから少し見物していくことにしたのである。
 狭い参道の両側には、ひしめくように様々な店が並んでいる。なるほど、縁日か。親日ほどではないにせよ、少なくとも反日や嫌日のような悪感情は持たれていないようだ。これなら、日本人の私が入って行っても大丈夫だろう。などと考えながら人混みをかき分けて進んでいく。
 けっこう人出が多い。家族連れやカップルがほとんどで、ひとりものは私だけのようだ。ああ、こんな時こそ愛するあなたがそばにいてくれれば、などと埒もないことを考えながら歩いていくと、鬼がいた。

 そう、鬼である。下手くそな絵が描かれたベニヤ板の前に、半裸の鬼が手を振り上げて立っている。その赤い体には墨で円が書かれ、五点とか十点とか点数が記されている。その鬼に向かって、子供たち数人がボールを投げていた。なるほど、懐かしい遊びだ。これで高得点を取ると賞品が貰えるんだっけ。しかし、それにしてもよくできた鬼である。まるで生きているようだ。
 子供の投げたボールが鬼の顔に当たった。鬼が手を振り上げてうなり声をあげる。どことなくもの悲しい声だ。気のせいか、うっすらと涙を浮かべているようにも見える。その顔を見ていると、なんだかこちらまで悲しくなってきたので、私はそこを立ち去った。

 隣にあったのは金魚すくい、縁日の定番だ。久しぶりにやってみるか、そう思って網を購入する。なあに、こう見えても昔は四天王寺の金魚すくい大会で二年連続優勝をしたほどの腕前、かつて伝説とまで呼ばれた「神速のタミー」の網さばきを見せてやる。
 まだまだ腕は衰えていないようで、さっそく一匹すくってボウルに入れる。さて次の獲物は、と水槽を見回すと、金魚たちの様子がおかしい。さっきまでてんでばらばらに泳ぎ回っていたのに、みな止まって私の方を見ているのだ。いや、気のせいではない。確かに私の顔を見つめている。すくわれた仲間を気遣うように、恨めしそうな、悲しそうな目で。
 ううっ、そんな目で見ないでくれ。こっちまで悲しくなってくるじゃないか。悪かった。私が悪かった。
 結局、せっかくすくい上げた金魚も逃がしてやり、私はそこを立ち去った。

 その隣はタコ焼き屋だった。ちょうど腹が減っていたところだったので、さっそく一舟買って食べ始める。なかなか旨いタコ焼きである。
 しかしこのタコ焼き屋、妙である。店先には舟に乗ったタコ焼きが並んでいるだけで、タコ焼き機が見当たらない。どこで焼いているのだ? と不思議に思ったので店主のおじさんに聞いてみた。
「いやあ、タコ焼きは奥の方で、女房が焼いてるんでさあ。焼いているところは絶対に見ちゃダメ、と言われてるもんでね」
 なんだそりゃ。なんだかアヤしいぞ。興味を持った私は、おじさんが止めるのも聞かずに店の奥へ入って行き、垂れ幕を勢いよくめくった。するとそこには。
 信じられないことに、タコがタコ焼きを焼いていたのだ。自分の足を包丁で刻んでタコ焼き機に入れ、残った足を器用に使いながらタコ焼きを焼いている。私の後ろでは、おじさんが声もなく立ちすくんでいた。そしてそのタコがゆっくりとこちらを向いて、悲しそうな声でつぶやく。
「見てしまったのですね。あれほど見てはいけないと言ったのに。この姿を見られたからには、もうあなたの妻ではいられません。私は海へ帰ります」
 タコはゆっくりと歩き出し、垂れ幕をくぐってどこへともなく消えていった。最後に「でも、あなたのことは本当に愛していましたよ」との言葉を残して。
 おじさんはその場にくずおれ、声を殺して泣き始めた。す、すまない、そんなつもりじゃなかったのだ。許してくれ。私は罪悪感にさいなまれながら、そこを立ち去った。

 その隣ではお面を売っていた。木の枠にかけられた様々なお面は、どれももの悲しそうに見える。押し殺したような泣き声が聞こえてくる。涙を流しているお面もあるようだ。
 ああダメだ。そんな切ない声で泣かないでくれ。あふれる涙をぬぐいながら、私はそそくさと立ち去った。

 そしてその隣には、またもや悲しくなるような店があった。
『フキダラソウモンのヒナ 一匹五百円』
 狭い箱の中に身動きもできないほど詰め込まれたヒナたちが、ぴいぴいと悲しげな声で鳴いている。かわいそうで見ていられない。
 しかし、どことなく妙である。フキダラソウモンのヒナって、こんなのだったっけ? 私は成長した姿を写真でしか見たことがないのだが、あまりに違いすぎる。だいたい、フキダラソウモンはワシントン条約で保護されているはずで、縁日などで気軽に売れるものではないのだ。気になったので、店主のおじさんに聞いてみた。
「え? フキダラソウモンじゃない? なるほど、お客さん、そのフキダラソウモンってのは、ひょっとしてこんな顔じゃあ?」
 と言って、おじさんはゆっくりと顔を上げた。




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