第187回   コリオリ問答  1998.6.21





「ご隠居さーん、いるかい? おーい、ご隠居さーん」
「なんだい、誰かと思えば熊さんじゃないか。いるかもいないかもないだろう。一間っきりの長屋なんだ、さっ きからあんたの目の前にいるよ」
「おや、ご隠居、こんなところで会うとは奇遇ですなあ」
「何を言ってるんだい。で、今日は一体何の用だね?」
「そうそう、それなんですがね、あっしゃ、どうにもわからないことがあって、それでここはひとつ物知りのご 隠居さんに教えてもらおうと思いまして‥‥へへへっ」
「うむ、それはいい心がけだ。きくは一時の恥、きかざるは志茂田景樹、というからなあ」
「ご隠居ご隠居、そのネタは以前も使いましたぜ」
「え? そ、そうじゃったかのう。最近年のせいか、物覚えが悪くなって……そういえば、わしゃあ今朝晩飯を食べたかのう、八つぁんや?」
「わざとらしくボケないでくだせえよ、ご隠居」
「うむ、ちょいとわざとらしかったか。……で、聞きたいことってのは何だい?」
「それそれ、それなんですがね。最近よく、コリオリの力ってのを聞くんですけど、何ですか、コリオリってのは?」
「ああ、コリオリか。三丁目のかどにあるだろう」
「へ? ありましたっけ?」
「あるじゃないか、『筑前』って名前の店が」
「……って、ご隠居、そりゃあコリオリじゃなくて小料理屋でしょうが。盗作の上に、大して面白くないなあ」
「ううむそうか、では、もう少し面白いネタを考えることにしよう」
「いや、面白いネタじゃなくて、ホントのことを教えて欲しいんですが」
「なるほど、仕方ないな。……昔から伝わっておる狂歌に、こんなのがある。こりおりが、こりおりに来て、おれ残り……」
「そりゃ、コリオリじゃあなくて瓜売りでは?」
「うりうり? へーかのことか?」
「なんです、そりゃ?」
「ああ、わからんのなら、よいよい。では、こんなのはどうじゃ? こりおりはべりいまそがり」
「ご隠居〜〜、さっきからボケてばっかりだけど、ホントはご隠居も知らないんじゃあ?」
「な、何を言うか。このわしが知らぬことなどないぞ。ちょっと待て、今思い出すからな。……そうそう、台風じゃ、台風。熊さんや、台風ってのはどっち回りか知ってるかい」
「台風ですかい。台風が来たら、やっぱり近所の見回りを……」
「いや、そういうことではなくて、右回りか左回りかを聞いておるのじゃよ」
「えーと、どっちなんでしょうねえ。よくわからねえや、へへへ」
「では、覚えておきなさい。台風は左回りだ」
「へーえ、そうなんですかい。こりゃ勉強になるねえ。でも、それとコリオリにどういう関係が……」
「最後まで聞きなさい。いいかい、台風が左回りなのは北半球の話で、南半球では右回りになるんだ」
「へーえ、そうなんですかい。こりゃ勉強になるねえ。でも、それとコリオリにどういう関係が……」
「だから、最後まで聞きなさいってば。このように、台風の回転方向を変えるのが、神秘のコリオリパワーなんじゃ。このパワーの源は、現代科学でも謎とされておる」
「なんだか怪しげな話になってきたなあ」
「このパワーを実験で確認したのがコリオリという人物じゃ」
「へえ、どうやって確認したんで?」
「台風が来ているときに凧を揚げて、風の向きを確認したらしい」
「ずいぶん危ない実験ですねえ。雷でも落ちたら大変だ」
「ううむ、違ったかな。そうじゃ、風呂だった、風呂」
「風呂?」
「そうじゃ。ある日コリオリが風呂に入っているとき、ついうっかりと栓を抜いてしまったんじゃな。しまった、と思ったときはもう遅い。風呂の湯はどんどん抜けていく。そして……」
「排水口にタマが吸い込まれましたかい?」
「そうそう、タマは穴の中に消えていった。さらばハイスイコー、というわけじゃな……って、違う違う。無理矢理下ネタにするんじゃないよ」
「すいません。で、風呂の湯が抜けて、どうなりました?」
「流れ落ちる湯を見ていると、左回りに回転している。これだ、これがコリオリパワーだ! 興奮したコリオリは『エウレカ!』と叫んで裸のままあたりを走り回ったそうじゃ。もちろん、左回りに」
「なるほど、そういうわけでしたかい。風呂の湯にもコリオリパワーが働くんですねえ」
「風呂の湯だけではないぞ。朝顔のつるの巻き方とかカタツムリの殻の巻き方とか犬が喜び庭かけまわるときの回転方向なんかも、北半球と南半球では逆になっておる。自然界のあらゆるところでコリオリパワーは働いておるんじゃ」
「ううむ……」
「あと、ソフトクリームの渦巻きとかCDの回転方向とか回転寿司の回転方向とか時計の回転方向とかも、逆になっている例じゃな」
「ええと、ちょっと待ってくださいよご隠居。ソフトクリームとか回転寿司とかが南半球でどうなっているのかは知らねえが、時計は南半球でも同じなんじゃあ?」
「む。ええと……そうそう、砂時計じゃ。砂時計の砂が落ちるときの回転方向が逆になっておるのじゃよ」
「なるほど、砂時計がねえ……」
「あと、日時計の回転方向も北半球と南半球では逆になっておるな」
「なるほど、それは知らなかったなあ」
「知らぬが日時計、というやつじゃな」
「ご隠居、それはちっと苦しいのでは?」
「ううむ、そうじゃったか。しかしどうじゃ熊さんや、これでコリオリについてわかったじゃろう?」
「わかったような、わからないような……ううむ、ご隠居に聞いたのが間違いだったのかも知れねえな。なんだか煙に巻かれたような気分ですよ」
「ああ、その煙の回転方向も……」
「いや、もう十分。コリオリの話は、もうコリオリです」




第186回へ / 第187回 / 第188回へ

 目次へ戻る