第231回   サラスヴァティの涙  1998.12.30





 サラスヴァティの涙、と呼ばれる有名な宝石がある。
 小指の爪ほどの大きさのサファイアで、白銀の台座に填め込まれ指輪となっており、カットも平凡で微かに緑がかった青は強烈な自己主張をするでもなく慎ましく輝いている。確かに美しい石ではあるが、希少価値を主張するほどの逸品ではない。この宝石の高名は宝石自身に由来するものではなく、この宝石に纏わる奇譚に依るのだ。

 サラスヴァティの涙、の来歴は明かではない。サラスヴァティとはヒンズー教の神話に登場する学問と英知の女神で額に三日月を戴く白い肌の優美な女性として表現される。日本で弁財天と呼ばれている女神のことだ。しかし、この宝石とインドとの関わりは不明である。初めて記録に登場するのはフランス、それも十九世紀末のことである。

 パリの郊外に居を構えるジャン・ピエール・ボルフォールは海運業で財を成した実業家である。彼の若き日の数々の冒険譚は興味深く南大西洋で巨大な海蛇と遭遇した話などもあるのだが本筋から逸れるので今回は省略することにして、彼がある初夏の昼下がりに近くの公園を散歩している時に一人のジプシーの老女に出会った。
 その老女は指輪や首飾りなどの装身具の行商をしているようだった。特に興味のなかったボルフォールはそのまま通り過ぎようとしたのだが老女に声をかけられて足を止めた。もちろん彼は購入する気などなかったのだが、老女は一つの古ぼけた指輪を取り出して無料で進呈すると言う。彼はその指輪を手に取って眺める。それほど価値のある物とも思えない。いくら無料とは言え、貰っても仕方がないと考えた彼は返そうとしたが、目を離した僅かな隙にその老女は煙のように消えていたという。結局、彼はその指輪を持ち帰ることにした。これがサラスヴァティの涙である。
 数日後より、彼の身には恐ろしい災難が降りかかった。五十を過ぎても豊かだった自慢の金髪が、突如として抜け始めたのだ。頭頂部は既に地肌が見えている。彼は恐怖し、混乱した。この災厄は老女に貰った宝石の呪いに違いない、そう考えた彼は即刻宝石を手放す決心をした。かといって捨てるのも躊躇われる。考えた末、彼は商売敵のジョルジュ・フェリエに匿名で送りつけることにした。
 フェリエは喜んだ。吝嗇家の彼には、たとえ来歴不詳の宝石であれ送り主が不明であれ無料で手に入れたという事実自体が喜びだったのだ。しかし程なく、このフェリエにも恐ろしい災難が降りかかる。屋敷の階段の三段目を踏み外して滑り落ち右足首を捻挫してしまったのだ。この宝石の呪いに違いない、そう考えた彼は使用人のディーニュにサラスヴァティの涙を二百フランで売り払った。
 ディーニュも呪いから逃れることはできなかった。モンマルトルの雑踏の中で十五フラン入りの財布をすられてしまったのだ。これもこの宝石の呪いに違いない、そう考えた彼はサラスヴァティの涙を通りすがりの浮浪者にやってしまった。そしてその浮浪者は酒屋の蔵から盗んだワインで酔っぱらい、セーヌ川に落ちて風邪をひいた。
 サラスヴァティの涙は、たまたま近くを泳いでいた野良猫に拾われた。その野良猫は陸に上がった途端野良犬に襲われ尻尾の先を食いちぎられて指輪を奪われ、その野良犬は馬車にはねられて右前足を骨折した。御者はその宝石を拾い、脇見をしているうちに溝に落ちて膝を擦り剥いた。そして御者は家に帰り妻にその宝石をプレゼントしたが、妻は料理の際に熱い鍋を掴んで指先を火傷した。その息子がその宝石を持って学校に行くとガキ大将に殴られて取り上げられ、ガキ大将は罰としてバケツを持って廊下に立たされた。役得としてその宝石を入手した教師は悪性の水虫にかかり、その妻は出入りの酒屋との浮気がばれて家庭争議になった。そして、その後もサラスヴァティの涙は数多の人々の手を渡っていく。

 もうおわかりだろう。この宝石、サラスヴァティの涙は持ち主に不幸をもたらす呪われた宝石なのだ。その呪いの手は長く、逃れられた者はいない。確実に持ち主に不幸をもたらしていく。まさに身の毛もよだつような恐ろしい話である。この宝石の元々の持ち主は誰なのか、何故呪われているのか、それらは謎のベールに包まれている。だが、この宝石の存在も呪いの存在も、紛れもなく事実なのだ。
 このサラスヴァティの涙であるが、現在は巡り巡って日本の国立民俗学博物館にある。もっとも収蔵庫に納められたままで一般展示はされていない。いわば日本という国が持ち主になったわけだ。国立民俗学博物館の所有になったのは1992年のことでバブル経済崩壊の時期とほぼ一致するが、これは偶然であろう。
 そして、さる筋から聞いたところによると、まもなく日本はこのサラスヴァティの涙を手放すという話だ。国連に寄付されニューヨークの国連本部に展示されるというから、世界全体が持ち主になると言ってもいいだろう。サラスヴァティの涙の譲渡は、来年、1999年の7月におこなわれる予定である。




第230回へ / 第231回 / 第232回へ

 目次へ戻る